国立能楽堂定例公演十二月 因幡堂 景清

d0226702_22152985.jpg国立能楽堂定例公演十二月 
夏目漱石と能 生誕百五十年記念
2017年12月15日(金)18時30分より

因幡堂 和泉流
シテ(夫) 高澤祐介、 アド(妻)河路雅義

景清 観世流
シテ 梅若玄祥、 ツレ 馬野正基、 トモ 谷本健吾、 ワキ 宝生欣哉
笛 杉市和、小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井忠雄
後見 山崎正道、小田切康陽
地謡 観世銕之丞ほか


あんまり前のことになってしまったので簡単に。
因幡堂は2011年に一度万作家で観ていますが、あまり記憶に残っていなかった。
酒のみで働かない妻を離縁して新しい妻を娶ったら…。と言う話。アドの河路はあまりなじみの無い役者ですが、上手。運びで随分かかとが高く上がるのはわざとなのか、この人の特徴なのか。面白かった。


景清は結構好きな演目。何度も観ているから好きになったのかもしれないけれど。
大小前に藁屋が出されます。玄祥が大きな人だからかもしれませんが、中の人が随分自由に動いている印象。観客の注意がそちらに行ってしまうのでよくありませんね。

人丸と従者がやってくる。人丸の謡が非常に美しくて、もっと聞いていたかったが宮崎に到着。
ここでシテの「松門独り閉じて…」が聞こえてきます。ここの笛ってちょっと不思議
引き回しが降ろされて景清が現れる。白口姿。頭が頭巾の無い蓬髪なのが面白い。
景清が独り言を言っている間、ツレとトモは後見座に。

「景清はどこに」と尋ねる従者に里人は「あの乞食がそうだ」と。
皆さんそうだと思うのですが、この従者が藁屋の戸を叩くしぐさが楽しくて好き。
景清は藁屋から出てきて、(藁屋の中でも蔓桶にかけているのですが)蔓桶に座ります。
ということで、後見はとても大変そう。

里人が娘を父に紹介するところ。欣哉さすがに上手(と手元の詞章に私の書き込みがありました)。

そしてこれも皆さんお好きだと思うのですが「汝は花の姿にて」という詞章。ここで、父は娘を手で触って確かめる仕草を。
その間ワキはずっと目付柱のそばに居るのですが、景清に「屋島の話をしてやりなさい、そしたらお嬢さんは送って行きますから」と言ってひっこみます。

で、景清は屋島の戦の話をするのですが、ここ、私の好みではもう少し武張ってやってほしかった。地謡も何となく湿った感じ。
話しが終わって父は娘の肩にすがって常座まで見送ります。
娘は振り返らずに帰って行き、父は涙をこぼします。そして、藁屋に戻ることなく退場。

なーんとなくアンチクライマックスだったかな。
でも、良かった。



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# by soymedica | 2017-12-31 10:56 | 能楽 | Comments(0)

萬斎インセルリアンタワー17

d0226702_14525962.jpg萬斎インセルリアンタワー17
2017年12月13日(水)19時より

解説 野村萬斎

蚊相撲 
大名 野村太一郎、太郎冠者 内藤連、蚊の精 中村修一

瓜盗人
盗人 野村萬斎、 畑主 飯田豪
笛 藤田貴寛


今回が2回目かな、3回目かな?最初の時は驚きました。だって解説と称して「萬斎この1年」みたいな報告があるんですから。
今回もそうだったのですが、「あれ、○月は何してたっけ」と萬斎が言うと見所から教えてあげる人がいたりして、コアなファンの会。
今回は昨年のように「子午線の祀りやります」みたいなビッグニュースはありませんでした。
あれ、どこかで山崎正和の世阿弥やるってニュースを聞いたような…。

蚊相撲を野村家で見るのは初めて。茂山家の大名とは違って野村家の大名は賢くて一回相撲を取ると相手がすぐに蚊だとわかってしまう。蚊帳を吊るか、蚊やりを焚くかなど色々考えます。
大きく違うところは、最後に太郎冠者と大名が二人で相撲を取るところ。
茂山家バージョンも良いけれど、こちらも良いなあ。
ちなみに蚊の精の中村修一は割とスレンダーな人なので、蚊の精にぴったりでございました。


瓜盗人は初めての演目。最初の解説で萬斎が祭りの山のからくりを説明をするのでなぜかな、と思ったらそこが見せ場だったのでした。
瓜がなって案山子を作る畑主。
蔓桶の上にうそふきの面を載せ、笠、水衣を着せます。
作ると、畑主いったん退場。本当に退場するのは狂言としては珍しいですね。
そこに泥棒がやってきて瓜をぬすむばかりか、案山子も壊す。そして退場。
やってきた畑主。怒って、今度はみずからが案山子に化けます。

またやってきた泥棒。瓜を世話になった人にあげたら「もっと欲しい」と言われ、もう一度やってきたのです。
これ、花盗人と同じパターンですね。
そして夜の畑で人間とは知らずに案山子相手に今度の祭に出す山の細工を考え出す、と言うところが見せ場。
面白かった。
またどこかでやらないかな。


セルリアンタワー能楽堂は毎回不愉快なことがあって(今回はクロークに入れてもらえなかったり、最後には1階に荷物をうつしたと言われ1階ではまだ地下が空いていると言われ皆上に行ったり下に行ったりの大騒ぎ)、もうチケット買わないぞ、と思ったのですが、調べてみたらあと2回催しに行くのでした。しまった。

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# by soymedica | 2017-12-26 12:38 | 能楽 | Comments(0)

硯修会 第一回公演 野宮

d0226702_22115458.jpg硯修会 第一回公演
2017年12月10日(日)16時より@十四世喜多六平太記念能楽堂

お話 大貫誠之 

野宮
シテ 狩野了一、 ワキ 大日方寛、 相 山本泰太郎
笛 竹市学、 小鼓 田邊恭資、 大鼓 柿原崇志
後見 塩津哲生、香川靖嗣
地謡 粟谷能夫ほか


国立能楽堂研修同期の大日方、山本、竹市による会。
お話をなさった大貫さんは国立能楽堂のお勤めのころ三人が世話になった方だそうです。スーツを来て開演前に歩いているお姿を見て、「あ、ここの能楽堂の事務方の人かな」と思った印象はあながち間違いでは無かった。
その大貫さんの説明によると、数年に一回募集される国立の研修生の三人が立ち上げた会だそうで、三人が研修していた時のシテ方担当が喜多流であり、その縁で今回はシテ方は喜多流、同年代の狩野了一がつとめるということらしい。
大鼓の柿原は、彼らの先生だったとか。
会の経緯については「能楽タイムズ」に詳しいとのことです。

野宮は名曲なのに意外に上演回数が少ないような気がします。それだけ重く扱われているということなのでしょうか。
まず正先に作り物が。これは流儀によっていろいろなタイプがあるとのことですが、今回は例の竹を四角く曲げた台の両側に小柴垣が付いているタイプ。安定性は良いけれど入ったり出たりの演技が難しいのでは、と思ったのですが、それを感じさせずに終わりました。

諸国一見の僧がやってきます。ワキツレで見ることの多い大日方ですが、それなりの風格も出て野宮のワキとしてふさわしい。
この時代には嵯峨野はきっと寂しいところだったんだろうな、と感じさせてくれる謡です。
と、そこに里の女がやってくる。老女ものかと思うほどゆっくりした登場。

地謡の「はなになれこしののみやの、あきよりのちはいかならん」が物凄く綺麗。喜多流の面目躍如ですね。
そしてシテが秋のものさびしさを謡うところに長い長い笛がかぶさって何だか見所も寂しくなります。
ここはもともと斎宮のいらっしゃったところ、どこの馬の骨とも知らないあなたは帰りなさい、と里の女は観光坊主をたしなめます(斎宮の習慣は南北朝のころに無くなったそうですね)。
僧は「私だってここを訪ねる資格はあります」と主張。女はあっさりと前言をひっこめて、御息所の話を始めます。

光源氏と御息所の話を始める女。蔓桶にかける演出は初めてのような気がする。下居するよりも、この方が微妙な動きが難しいかもしれませんが、見所からは観やすい。かな?
そして女は実は私は御息所の亡霊だとうちあけて、笛の音をバックに静に去って行くのでした。

アイ登場。装束がパリッとして素敵。昔は山本家の装束の色合わせが不思議だったけれど、見慣れてくると素敵に感じるようになるから不思議。洋服の色合わせの感覚とは全く違いますからね。
ご自身の会だから何か力の入ったアイ語りになるのかと思ったら、全くの平常心で普通。

そして御息所の亡霊登場。車争いの場面を語ります。が、大変申し訳ないことにこのあたりで眠気が…。
やはりここいらあたりで車の作り物を出していただくと目先も変わって大変うれしいのですが。ちゃんと目覚めていた友人に聞くと、大変よろしかったということです。残念。

序の舞あたりから復活。狩野は舞の形がきれいですね。
そして「野々宮の、月も昔やおもふらん」の声。完全に女性に聞こえるのはなぜでしょう。雑誌「観世」に役者は女と男の役では同じ謡の節回しでも微妙に変えている、という研究が載っていましたが。

そして破ノ舞へ。最後に地謡をバックに下居して合掌。ゆっくりと帰って行きます。

やっぱり野宮は難しい曲です。もっと何回も観ないと。

(曲が終わった後、白いハンカチで顔を拭く柿原崇志を見るのが好きなんですが、今回見過ごしたかあるいは拭かなかったか、観られなかったのがとっても残念。)


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# by soymedica | 2017-12-24 10:42 | 能楽 | Comments(0)

国立能楽堂普及公演十二月 文荷 隅田川

d0226702_20455058.jpg国立能楽堂普及公演十二月
特集・夏目漱石と能 生誕一五〇年記念
2017年12月9日(土)13時より

解説 隅田川と‟あづま”の風流 林望

文荷 大蔵流
シテ(太郎冠者)茂山忠三郎、 アド(主)大蔵基誠、(次郎冠者)大藏彌太郎

隅田川 観世流
シテ 観世銕之丞、 子方 谷本康介、 ワキ 宝生欣哉、 ワキツレ 則久英志
笛 松田弘之、 小鼓 飯田清一、 大鼓 佃良勝
後見 浅見真州、谷本健吾
地謡 浅井文義ほか


解説は林望先生。珍しく着物ではなくてパンツにマオカラーのシャツ。
夏目漱石と隅田川。漱石が下宝生の謡を宝生新に習っていたことは有名ですが、隅田川のキリを下敷きにした新体詩(上手くない)を作っているそうです。五女を無くしていることもこの能に共感するところ大なのではと。
日本の文学は本歌取りの伝統がありますが、伊勢物語のあずま下りの知識を基に隅田川を見るべきであるとも。まあ、ダイレクトに引用されていますしね。
昔は隅田川を下ると、都から遠いあずまの国からついに陸奥へ。遠い遠い感覚だったのでしょうね。
関西や中国地方の友人たちによれば、今でも西の方からは東北旅行はなかなかしにくいそうです。


今まで何回か観たことのある文荷。全て和泉流野村家のものだったので、大蔵流とちょと違う。
手紙を持っていくお使いを頼まれた太郎冠者と次郎冠者。お相手は和泉流だと「彼氏」なのだけれどこちらは「彼女」。そして行くとご馳走が出るので、二人とも行きたがる。
互いに相手に手紙を持たせたがるのは、見栄の張り合いであって、和泉流のように手紙をもってお使いに行くのが嫌だからではない。
「恋の重荷」を謡いながら、「重いから中を見てみたいね」と、開いて破っちゃう。

和泉流、大蔵流、どちらも面白いけれど、和泉流の方がちょっと意地悪くて良いかな。


隅田川は久しぶりに観るので、大小前に出された塚の作り物が小さいのにちょっとびっくり。当たり前ですよね。
船頭は宝生欣哉。シテの所作や子方を出す出さないの演出が話題になる曲ですが、ワキ方の大曲ですよね、これ。
船頭は紺の長裃に水色と白の桜が散っている。舞台が三月になったよう。
良い声の客がやってきて、船頭と問答。

話題になっていた物狂いの女がやってきます。肩にしょった笹の葉の先が枯れているのはわざとなのでしょうか。何となくこれから先の悲劇を象徴しているような。
ここの船頭と物狂いの女の問答がとても良くて、この先に期待が膨らみます。

船に乗った狂女。何となく肩で息をしているように見えて気になっていたのですが、船頭が大念仏の説明をしていると、だんだん肩の上下が大きくなる。演技だったのかなー。でも、こういう時人は息をつめて聞くものではないか?
それにしても船頭の語りが上手い。
子供の名前を聞き、そして誰もその墓を訪ねて来ないと聞いた母は、「その子こそ探しているわが子」と笠を叩きつけるように置きます。

驚き、気の毒に思った相客と船頭。船頭は櫂を捨てて、母を墓所に案内します。
船から上がろうとする母がなかなか立てずに船頭に手を貸してもらうのは、これもまた演技なのか???と思わせてはいけませんよ、銕之丞さん。

出だしが良いと思った船頭、ちょっとここの母に念仏を勧めるところは忙しい感じ。説明的に聞こえてしまった。
母の念仏に答えて塚の中から子供の姿が。2010年生まれと言うから7歳。詞章よりは小さい(12歳とある)けれど、このくらいが好ましいのでは(と、清田弘さんもおっしゃっている)。お経がとても元気よく大きくて通る声で詠まれるのが悲しい。
かき抱こうとする母の手をすり抜けて、子供は消えていくのでした。

最後、笛がぷつっと終わるのがとても寂しい。
面が誰の作かチェックしてくるのを忘れたのですが、ちょっと瞼の腫れた感じの顔。角度でとても表情が変わる良い面でした。









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# by soymedica | 2017-12-20 11:14 | 能楽 | Comments(0)

銕仙会定期公演十二月 富士太鼓 栗燒 舎利

d0226702_10405859.jpg銕仙会定期公演十二月
2017年12月8日(金)18時より@宝生能楽堂

富士太鼓 現之楽
シテ 浅見真州、 子方 谷本悠太朗、 ワキ 森常好、 アイ 高澤祐介
笛 一噌隆之、 小鼓 鵜澤洋太郎、 大鼓 佃良勝
後見 清水寛二、柴田稔
地謡 野村四郎ほか

栗燒 
シテ(太郎冠者)三宅右近、アド(主)三宅右矩

舎利
シテ 安藤貴康、 ツレ 谷本健吾、 ワキ 則久英志、 アイ 三宅近成
笛 八反田智子、小鼓 鳥山直也、 大鼓 柿原光博、 太鼓 林雄一郎
後見 観世銕之丞、泉雅一郎
地謡 馬野正基ほか


本日は栗燒はともかく、二曲とも初めての曲。
富士太鼓はどこかで聞いたような筋だな、と思ったら、同じ話の別構成の梅枝を見ていたのでした。そしてシテはやっぱり浅見真州。それと比べてどう、という楽しみ方がほど曲を知らないのが残念。

正先に作り物が運び込まれます。これが豪華。まさか浅見真州大先生ご本人が作っているとは思われませんが、案外こういう細工がお好きだったりして。
そこに下人がやってきて話の前段を語ります:花園天皇が太鼓の名手である浅間を召したら、自分こそは第一人者と思っている富士もやってくる。
院は「信濃なる浅間の山も燃ゆなれば富士の煙のかひやなからん」と、名はこの上ない富士であっても実際は浅間がよろしいだろうと、浅間を選びます。
浅間は富士が許せず、富士を殺してしまう(なぜ???)。
実はこれを聞きながら何となく「ハンサムなワキだけれど、不思議な語り口だな」と思って、よく考えたらこれはアイの高澤でありました。

富士ゆかりの人がやってきたら形見の装束を渡そうと、アイがふれまわる。
ここで富士の未亡人と子供登場。ちょうど望月の時のように橋掛かりで二人向き合ってかなり長い謡を謡うのですが、これが音程が全く合わない。謡としてはOKなのでしょうけれど、現代の音楽環境で育ってきた子方にはこれは不安なのではないだろうか。

富士が殺されたと聞かされ、抱き合う親子。泣いている親子に形見の衣と鳥兜が渡され母は後見座でそれを身につけます。
嘆き悲しむ母は、「あれに敵の候」と太鼓に向かいますが、それを子供が止めます。何となく西洋風。
子方の出番がこんなに多い曲だとは思わなかった。悠太郎くん、真面目に熱演。

そしてついに母は太鼓を打つ子供を退けて自ら太鼓を打ち始めます。
橋掛かりまで行って太鼓を見込む所作があり、これが小書きの現之楽によるものなのだそうですが、その他に太鼓の前を行くところもあり、何となく松風の見留みたい。

面はプログラムの予告の是閑の深井から甫閑の曲見に変更されていたのですが、その面が鳥兜の下でとても素敵。そして、そのまま横目で敵の太鼓を見込むところがちょっと凄味があって怖かった。

そのうち母もだんだん心が落ち着いて、舞台中央で兜と衣を脱ぎ、笠をかぶって家に帰ります。でも、橋掛かりから今度は名残惜しそうに太鼓を見つめます。
夜目遠目笠の内、と言いますが、面はかぶりもの無しだとあんまり良いとは思われない表情なのが不思議。
何だか子供を連れて帰るのを忘れたような母なのでした。

また見てみたい曲です。


連続して栗焼を見ている。秋ですからね。
栗の芽を欠くとき、扇をパチンパチンと鳴らさないのがこのお家。
良い曲ですよね。楽しい。


舎利も初めての曲。
正先に一畳台が出され、その上にちょっと端に寄せて舎利塔を表している小さな台が置かれます。
そしてワキ僧登場。則久は声が良いので謡うと「朗朗と」、という形容詞がふさわしい。出雲からやってきて京都見物。泉涌寺にやってきました。私も行ったことありますが、立派なお寺ですよね。

ずうずうしくも舎利を拝ませてくれと言う僧に、能力はしょうがないなあ、と見せてやる。
あまりのありがたさに感涙にむせびつつ、でも良い声で則久がお経を唱えていると、見るからに怪しい黒頭の男が。しかも信心深そうなことを言う。それに騙されて一緒に舎利を拝もうと言う人の良い僧。

地謡が心地よく謡をきかせてちょっとうとうとしていると、旅の僧もうとうとしたのか、急に怪しい男が態度を変えて、何と舎利を入れてある玉を取ってしまう!ここのところがちょっと急迫した気分でよろしい。ついでに舎利塔も蹴倒せば宜しかったのに。

怪しい男、実は足疾鬼が天井を破って逃げたので、大変な揺れと音が。橋掛かりに下がっていた能力が悲鳴をあげて転げまわる。「揺り直せ、揺り直せ」。ここは道成寺とおなじですね。
お堂に入ってみると舎利が無い!僧を責めると、足疾鬼が舎利を奪って行ったとの話を聞く。
では、昔のように韋駄天に頼んでみようと。

正体を現した足疾鬼は前半の地味な服装とは打って変わってオレンジに金の袴、上には黒に金とド派手。右手に玉を持っています。
祈りが通じて韋駄天が足疾鬼から舎利を取り戻そうと登場。もっと強そうな装束で出てきてほしいが、それはそれ。
二人で緩急自在の追っかけっこ。急に動きがゆっくりになるところは、まるで暗闇で相手の様子を探っているよう。
結局韋駄天は舎利(玉)を取り戻してめでたしめでたし。

年の瀬をスカッと締めくくった一番なのでした。

囃子も元気良くて良かった。今回気づいたけれど、笛が真正面向いて座っていた。何となく少し目付柱の方向を向くものと思っていたけれど、人によって違うのか、曲によって違うのか。今度注意して見てみようっと。

面は前シテが作者不詳の筋男、後シテが石原良子作の顰
ツレが徳若作の怒天神

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# by soymedica | 2017-12-13 10:14 | 能楽 | Comments(0)