国立能楽堂定例公演十月 右近左近 自然居士

d0226702_21585047.jpg国立能楽堂定例公演10月
2018年10月19日(金)18時30分より

狂言 大蔵流
右近左近おこさこ
シテ(右近)善竹十郎、アド(妻)善竹大二郎

お話 松岡心平

能 観世流
自然居士 古式
シテ 観世清和、子方 谷本康介、ワキ 森常好、ワキツレ 館田善博、アイ 善竹富太郎
笛 一噌隆之、小鼓 観世新九郎、大鼓 亀井広忠
後見 武田宗和、上田公威、谷本健吾
地謡 角寛次朗


パンフレットの解説によると、この右近左近は初代善竹彌五郎(1883-1965)が得意としたものだそうです。幕切れが、拍手して良いものやら、いつも困る。
善竹十郎はなかなか良い味を出していました。これ、右近があまり若いと辛いですね。
ところで、十郎はとても小さなお爺さんなのに、大二郎、富太郎はともにとても肉付きかよいです。十郎も昔はああだったのでしょうか。


松岡心平の解説。何だか本日はいつもの冴えの無い語り口。確かに「古式」とは何かを資料なしに説明するのはちょっと辛いかもしれない。簡単に言うと前場の自然居士の語りがとても長くなるもので、語りの内容は「いかにして自分は自然居士と言う町中の説法師になったか」と言うものみたいです。
義満が寵愛していた世阿弥に「これは観阿弥にかなわないだろう」と言ったというのはこの自然居士を演じている観阿弥を見ながらの事であったそうです。


さて、その自然居士。本日亀井広忠はなぜか1人ベージュの袴。この人比較的派手な色の袴が好きですね。
善竹富太郎がやってきて、さあ、今日は自然居士の七日の説法の結願の日だから、聴衆も集めたし、居士を呼び出そう、と言うところから始まります。
居士は出てきて一の松のところで雲居寺(うんごじ)の札を配ります。面は観阿弥の時代の本面だそうですが、角度によってずいぶん印象の変わる面白いものです。両側のこめかみにほつれた髪の毛が書き込んであります。

そして大鼓の前あたりで葛桶にかけ、「法のためならば身を捨つる」などと語ります。とても力強い。
子方登場。小袖と書付を持っています。それを受け取ったアイは正先にその小袖を広げます。
これに気付いた居士は書付(諷誦文と言っていますが、現代的な意味のそれではないようです)を読んで、「この子は身を売ってこの小袖を得たのだ」と気づきます。
あまりの事に、書付をぽとりと落とす自然居士。

観世清和がこの「古式」を選んだわけが良くわかります。ここまでシテの謡も言葉もたっぷり。仏教用語も多いのに、退屈させないで聞かせる力量を見せられる、という事でしょう。はい、楽しめました。

と、人買いが「買ったはずの子供が朝からいない」と探しに来ます。後半子供を縛って猿轡までして船に乗せる人買いにしては何だか呑気。幼子を無理やり連れて行ったのに気付いた居士は、小袖を襟巻のように巻いて人買いを追いかけます。

実際に舟の作りものは出ないのですが、ワキ座に櫂を手に人買いと少女が。
居士は揚幕の前まで行ってそこから「のうのう」と呼びかけます。
ここで「おれたちは渡し船では無いぞ」などというやり取りが面白い。
面倒なことになったのもお前のせい、と船頭たちが子供を殴る場面、櫂に見立てた竹の杖を扇で打つのですが毎度のことながらこれが面白い。

居士は舞台に入って「この小袖を返すから子供を放せ」と、小袖を舟に放り込みます。この迫力も、観客に「見たか!」と叫ぶ観世清和の心の声が聞こえてきそう。

人買いは竿を捨て、脱いでいた肩を上げます。二人で相談して、腹いせに居士に芸をさせることに。
烏帽子をつけさせ、舞を舞わせたり、ささらをすったり(これは数珠を扇で擦って実際に音を出していました)、最後には鞨鼓を打ちます。私は鞨鼓を打つ芸を見ると、大変失礼ながら食い倒れ人形を想像してしまうのですが、あれは太鼓でしたね。
ここの芸づくしのところも、観世清和の「魅せてやるぞ!」の気迫が。

最後に鞨鼓と烏帽子を脱ぎ捨て、子供を立たせて帰ります。
めでたしめでたし。

面は龍右衛門の喝食





by soymedica | 2018-10-23 22:02 | 能楽 | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2018-10-24 10:17
こんなに楽しくわかりやすい能を観たのは初めてかもしれません。
観世清和の思いが伝わりました。
Commented by soymedica at 2018-10-24 13:09
> saheizi-inokoriさん
コメントありがとうございます。楽しかったですね。「古式」の長い詞章を見た時には「えーっ」と思ったのですが、観世清和、楽しませてくれました。
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