セルリアンタワー能楽堂定期能七月 喜多流 忠度

d0226702_22212387.jpgセルリアンタワー能楽堂定期能七月 喜多流 忠度
2018年7月7日(土)14時より

おはなし 馬場あき子

忠度
シテ 友枝昭世、 ワキ 森常好、 ワキツレ 大日方寛、吉田祐一、 アイ 奥津健太郎
笛 一噌隆之、小鼓 曾和正博、大鼓 大倉慶之助
後見 中村邦生、友枝雄人
地謡 香川靖嗣ほか


馬場あき子先生、絶好調。まずは「皆さん、『青葉の笛』という唱歌をご存知ですか?」先生は小学校4年くらいの時に習ったそうで、一番が敦盛、二番が忠度をうたったもので、日中戦争が盛んになるにつれて歌われなくなったそうです。なぜなら、芸術の天才が戦争のために消えて行くのを惜しんだ歌だから。戦争が盛んになると命(芸術)をなげうつ風潮を良しとするようになってきたから、と。

武士にとってなぜ和歌が重要であったかと言うと、下賤の者であった武士が貴族と言葉を交わす唯一の方法であったから、とか
須磨の若木の桜と言えば当時の人は「光源氏が手植えした」とすぐにピンと来た、などの色々有益な情報が満載のお話。

そして、忠度を討ったのは「岡部六弥太」ですが、その功績で今の岡部(埼玉県)一帯に広大な領地を得た。そして六弥太は一等地に自分の墓よりも大きな忠度の墓をたて、忠度桜、忠度橋も作った、それは現在も観ることができるということです。岡部清心寺に忠度は弔われているそうです。


しかし、最近セルリアンタワーではツキの無い私。今回は何が起こるかと思ったら、目の前に凄く大きな男性が。隣の普通サイズの男性より座ると頭一つ大きい(幅もある)。ので、かなり視界が遮られて始まった忠度。
出だしからちょっと不安を感じさせる笛。一噌隆之、いちど絶不調の時に当たり、その時以来偏見が消えない私。(今回一声の後はふつうでした)。

ワキとワキツレ登場。ワキツレその2のほうがその1よりもたぶん年配。宝生流は殿田謙吉の休業で色々人手のやりくりが大変なのか。
森常好も酒量に注意して頑張ってほしい。
それはともかく出家した俊成の関係者がやってくる。これが須磨の若木の桜か!と。

向こうからやってきた卑しいお爺さん。「『そもそもこの須磨の浦ともうすは淋しき故にもその名を得る』なんて、その辺のお爺さんは言いませんよね」(馬場あき子談)。
「これなる桜」と昭世爺さんが言うと、本当に舞台上に桜があるよう(前のおじさん、邪魔!)。海人が持って出た榊を置いた瞬間も見ることができなかった…。

地謡がきれいなのは喜多流の常の事ですが、その地謡が「山の桜も散るものを」と謡うのをバックに昭世爺様をみていると、本当にそこに桜の枝があるように感じられます。ちなみに桜には香りは無いと思うのですが、今舞台を思い出しても何となく良い香りがするような。
そしてお爺さんはどこかに行ってしまうのでした。

不思議に思った僧たちが地元の人に尋ねると、それは忠度の霊ではないかと。この地元の人、そつがないけれど何となく印象が薄い。アイはその方が良いのでしょうね。

僧たちがうとうとしていると、風が吹いてきたのでしょうか、それとともに武将が姿を現します。矢には短冊が。
俊成に自分の歌を託して戦いに出ていく忠度。

場面は合戦に移ります。
船に乗ろうとする忠度。ここのところ、大鼓の掛け声が大きすぎてシテ謡が聞きづらい。大鼓ものっているのでしょうが、そこはちょっと抑えてほしいな。

忠度は結局岡部の六弥太に討たれてしまうのですが、ここからなぜかシテは六弥太になりかわり、有名な「行きくれて」の歌の短冊を発見します。田舎侍とは言え、六弥太は字が読めたのですね。

もっと見ていたいなあと思いましたが、忠度は「わが後弔ひてたび給へ」と消えて行くのでした。





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by soymedica | 2018-07-16 09:55 | 能楽 | Comments(0)
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