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渋谷能第三夜 自然居士

d0226702_21481839.jpg渋谷能 第三夜
2019年6月7日(金)19時より@セルリアンタワー能楽堂

演目解説 金子直樹

自然居士
シテ 佐々木多門、 子方 大村稔生、 ワキ 大日方寛、 ワキツレ 御厨誠吾、 アイ 高澤祐介
笛 松田弘之、 小鼓 成田達志、 大鼓 谷口正壽
後見 粟谷浩之、狩野了一
地謡 友枝雄人ほか計6人


金子先生の解説から。私はネットのあらすじを見たときに子供が男児となっていたので変だな?と思っていたら、喜多流に限り男の子の設定なのだそうです。

会場の30%くらいの方が自然居士初見だそうで、丁寧にあらすじの解説。それというのも、「比較的能にしてはテンポの速いものなので、詞章を見ずに舞台に集中していただきたいから」。何回か観ている私でも楽しめる解説でした。


ワキとワキツレがまず登場。子供を一人買ったのだけれど、東山の雲居寺(うんごじ)造営のために説法をしている自然居士のところに行って帰ってこないので連れに来た、と。

いつもよりぐっと重々しい感じの大日方人買い。

なお、ワキ方のセリフから始まるのは下掛のやり方だそうです。


続いて囃子なしで門前の者がやってきます。白い狂言袴が涼し気。高澤はどこの出身だろうか。ヒガシヤマがシガシヤマに若干近く聞こえる。今日は7日結願の日。説法を始めるように居士に呼びかけます。

するとまたこれも囃子なしで居士が登場。この自然居士というのは実在の人物だったそうですね。童形。

門前の者は居士を大小前で葛桶にかけさせる。説法が始まります。


と、子方登場。丸顔のかわいい男の子です。衣と文を高澤に渡すと目付柱へ。この間、アイとシテのセリフが同時に語られる面白い場面。

門前の人は文は居士に渡し、衣は正先に広げます。

舞台上の照明がきついのでしょうか、子方の稔生くん、ちょっとまぶしそう。


諷誦文(ふじゅもん)を読み上げる自然居士。読みながら居士はなんだか引っかかるものを感じます。「みのしろごろも?」と。
この子は自分の身を売って衣を寄進したのです。

地謡も孝行な子供だと歌い上げます。ここでやっと囃子。

人買いが子供を発見。

人買いと門前の人との緊迫したやりとり。

…そうですね、こういうところで詞章を見ていてはいけません。コトバのところでは見なくてもわかるしね。


結局門前の者は人買いの勢いに押され、子供は連れ去られてしまいます。

門前の者は自分が人買いを追いかけようと申し出すのですが、自然居士は説法を中断して

自分が行くと。

「すは善悪の二道ここに尽きたり」と、すごい迫力です。

ここの場面、小学館の本と会場で配られた喜多流の詞章と比べると、喜多流のほうがやや短くて、緊迫感にあふれたものであることがわかります。


自然居士は子供がささげた衣を肩にかけて大津松本へと急ぎます。

人買いの舟を見つけた自然居士。まだ浅瀬にいるようです。

「その人買い舟」と呼びかける自然居士。

「ああ音高し何と何と」思わず宝生閑を思い出しました。


子供が声を上げないので死んだか?(高価なものだから殺しはしないだろうけれど)と思ってみると、縛られて猿轡をかまされている。

「身には縄」というセリフがワキなのはなぜでしょうか。


船に乗り込んだ自然居士。子供を返すまでは下りないぞ、と下居する姿がとても素敵。

これは困った、と人買いたちはひそひそ。

まあ、芸をさせて返すか、ということになった模様。


まず、烏帽子をかぶせて、中の舞。これは囃子だけで謡はありません、と金子先生の最初の解説にあったもの。

広げた扇は青地に金色の模様でとてもきれい。

次に舟の由来をうたったクセ舞。

ささらを擦れ、と言われてささらに見立てた扇と数珠で。数珠がなんだかこんがらかっているような。


金子先生の解説によるとささらと呼ばれるものには二種類あって、一つは小さな木片をつなぎ合わせたもの、もう一つは木製の鋸の様なものをこすって音を出すもの。ここで出てくるのは後者でしょうと。

後見の粟谷、意味もなく(と思えるが)表情が変わって面白い。


最後は鞨鼓。こんなものの用意があったのは舟か?自然居士か?

小学館の解説によると、「もとより鼓は波の音」は「無み」との掛詞で、もともとは舟に鞨鼓の用意はなく打つまねをしたのであろうと。なるほど「もとより鼓は波の音」はワキが謡っていました。


最後に地謡に乗ってシテが退場するのかな?と思ったら、一の松で欄干を鞨鼓に見立てて叩いて面白かった。


本日は地謡も力強く、囃子ももちろん大満足。

渋谷能、チケットも安いしとてもお得。

次回も行こう!


# by soymedica | 2019-06-10 12:58 | 能楽 | Comments(2)

銕仙会青山能五月 謀生種 鉄輪

d0226702_22055935.jpg銕仙会青山能五月
2019年5月22日@銕仙会能楽研修所

仕舞
蝉丸 道行 小早川修
歌占 キリ 清水寛二

謀生種ほうじょうのたね
シテ(伯父)深田博治、 アド(甥)内藤連

鉄輪
シテ 鵜沢光、 ワキ 村瀬提、 ワキツレ 村瀬慧、 アイ 中村修一
後見 鵜沢久、谷本健吾
笛 八反田智子、 小鼓 鵜澤洋太郎、 大鼓 佃良太郎、 太鼓 大川典良
地謡 浅見慈一ほか計6人


謀生種は初めて見る狂言かもしれない。伯父と甥がホラ話比べをする話。ほら吹き男爵のようなとんでもない話の応酬。富士山を紙で包んだとか、琵琶湖の水で茶をたてて飲み干したとか。(泡をふーっと吹いてできたのが新あわづが原なんだそうな)。甥が摂津の国にいて首を伸ばして淡路の草を食う巨大な牛の話をすれば、伯父は三里四方の太鼓を見たと。そんな大きな皮があるかと甥が言えば、お前が見たその牛の皮だよ…。
最後に「伯父さん、そんな話し上手にはどうやったらなれるんですか?」と甥が降参すると、謀生種があるからだ、その辺に埋まっているよ、と掘らせるという。
ただそれだけの話なんですが、この二人、なかなか聞かせますねえ。


毎度のことながら鵜沢光目当てのお客さんでぎゅうぎゅうの見所。鉄輪

京都の貴船神社の社人は丑の刻詣りに来る女に神託を告げます。貴船神社って今でもだいぶ郊外ですし、当時あんなところ夜女が一人で行くというのは相当なことだったでしょうねえ。社人も、そんな時刻にやってくる女を薄気味悪く思っている様子。中村修一、そういう雰囲気を醸し出していました。
しかもその神託というのが、「鬼になりたいのだったら、顔に丹を縫って頭に鉄輪(五徳)を載せてろうそくを立てよ」という…。これが滑稽にならずに恐ろしくなるというのだからよほどの恨みを発散させているのでしょう。

不実な夫がやってきます。あんまりコトバがピンとこないけれども、「はーん、なるほどそういう亭主ね」と思わせる雰囲気がある。夫は安倍晴明を訪ねて夢を占ってもらいます。ここのやり取りは橋掛で。

安倍晴明は割と声の高い人ですね。夫の話を聞いてこれは大変と、形代を載せた祭壇をつくります。(作るのは後見ですが)。正先に一畳台を置き、今回はその前に供物台が置かれ、そこに烏帽子と髪の毛が置かれています。
安倍晴明が祈祷をすると、女の生霊がやってきます。
恐ろしいことに烏帽子を打ったり、女の長い髪を手にぐるぐる巻いて叩いたり。

時々「捨てられて」と泣くのですが、泣いても鬼は鬼だから、鬼気迫るものがあります。そんなに夫が好きだったのか。ただの頼りない気の小さい男じゃないの…。
でも、一畳台に上って髪の毛を打つ所作がなんだかすごく恐ろしい。光の夫君が見所にいないことを願います。
この間、考えてみると安倍晴明は大したことをするわけではない。道成寺の僧のようにダイナミックに動くわけではないので、シテの動きに嫌でも集中します。地謡も素敵。

でも、最後には、生霊は安倍晴明に追い払われてしまうのよねえ。もっと頑張ってほしいような、もっと見ていたいような、素晴らしい生霊でした。

シテと地謡はよかったけれど、ワキ方と囃子がちと弱かった。鵜澤洋太郎の頑張りが光りました。



面は前シテが堀安右衛門作の泥岩、後シテが是閑の生成


# by soymedica | 2019-06-02 00:17 | 能楽 | Comments(2)

国立能楽堂定例公演五月 文荷 加茂 御田

d0226702_22050788.jpg国立能楽堂定例公演五月
2019年5月17日(金)18時30分より

狂言 大蔵流
文荷
シテ(太郎冠者)山本則俊、アド(主)山本則孝、(次郎冠者)山本東次郎

能 宝生流
加茂
シテ 朝倉俊樹、 前ツレ 水上優、 後ツレ 和久荘太郎、 ワキ 森常好、館田善博、梅村昌功
間狂言 大蔵流
御田
オモアイ(加茂明神の神職)山本則秀、立衆(早乙女)山本則重、山本則孝、山本修三郎、山本凛太郎、寺本雅一、若松隆、山本泰太郎
笛 一噌隆之、 小鼓 曾和正博、 大鼓 柿原弘和、 太鼓 小寺佐七
後見 金井雄資、高橋憲正
地謡 宝生和英ほか


大蔵流の文荷は初めてかと思ったら、だいぶ前に茂山家ので見ていた。山本家は初めて。
茂山家のともちょっと違っているような(茂山家のは行った先でのご馳走目当てで太郎冠者も次郎冠者もひどく行きたがるのが記憶に残っている)。
大蔵流のは和泉流のものと違って、ごくごくあっさりしていて短い。稚児愛みたいなところも無いし、手紙を破ってあおぐところは同じ(破いてしまった手紙を持っていくこともできないから、どこからともなく来たように見せかけるために扇いでいく)だけれど、最後の「お返事でござる」のようなオチも無い。でも、こっちの方が好き。東次郎と則俊だから、このあっさりした筋でも面白いと言えるのかもしれないが。


今月のテーマは「祝言」らしく、定例公演は絵馬と加茂。今回の加茂、残念なことに笛の一噌隆之は私の趣味ではない。
播州(兵庫県の一部)の室の明神の神職がお供を連れて加茂神社にやってくる。御手洗川云々というから下加茂神社でしょうねえ。謡はさすが森というべきもの。健康に注意して長くやってね。

と、橋掛かりをしずしずと二人の女がやってくる。ツレの女はすらーっとして折れてしまいそう。シテは右手に桶を持っている。橋掛かりでの同吟はちょっと残念な感じでしたが、徐々に調子を上げて本舞台に入ったところあたりからとてもきれいに。もうすこし爽やかにやってほしかったです。

森の神職と女の話が続きます。檀に建てられた白羽の矢のいわれを神職は教えられます。
あれ、ツレの女はどこに?と思ったらいつの間にか笛座前に下居していました。
「なんだか素晴らしいことをおっしゃるあなたは?」と森が聞くと、女は、私は実は神様なのよ、といなくなってしまいます。「神隠れ」と「神隠し」似ているようで全然違う言葉ですねえ。
女は神隠れするときにはくるくる回りますが、ツレは普通に帰っていきます。

そして正先の矢の檀も引っ込められてしまいます。残念。何ということのない作り物ですが、結構好き。

考えてみると加茂の前場って結構難しいですよねえ。初夏の爽やかさを出さなくてはなりませんから。

そして、「御田」。このために好きでもない加茂のチケットを買ったんです。
室の明神の神職よりもだいぶピチピチ度の高い加茂の神職がやってきます。
そして後見に山本家の重鎮二人が。存在感に思わず目が吸い寄せられる…。

神職が早乙女に田植えを呼びかけると、ワキは端っこによります。
7人の早乙女が橋掛かりにずらりと並んで壮観です。
則秀神職が美しい声で歌いあげます。

そしてやがて神職は乙女たちが橋掛かりで後ろを向いて下居している間に、たすきがけし、エブリ(柄振り?)というのだそうですが、鍬の作り物を持ちます。
水口を祭るのです。

   それ年の年号はよき年号はじまり
   白金の花咲きこがねのみなり開
   人物和合する時をうやまってもうす
   春の種おろしすくのうそうろうとも
   秋にもならばせまちに千束
     …
うまく書きとれなかったのですが、神職が今の年にふさわしいめでたい謡をうたいます。
早乙女たちは舞台中央に斜めに並んだかと思うと、さっとワキ正面に歩いて行って、緑の苗をずらりと並べます。

「早苗とるとて手を取るぞをかしき」「とったらば大事か若い時の習いよ」
とか、恋文がほしいか?水鏡見てみろ、顔が汚れているぞ!汚れていても恋人はいるわよ!
などの楽しい歌も。

この歌の間神職は大いに動き、飛び安座などもあってかなり息が苦しそう。
後半気の毒になってしまった。というか、東次郎の顔ばかり見てしまった。

最後、東次郎がちっちゃな塵取りを持ち出してワキ正面に並んだ早苗を片付けておしまい。

そして天女登場。
きれいな舞でしたが、はじまりがとても固くてどうしたのかと思ったのですが、すぐに調子を上げて
「うつりうつらう緑の袖を、水に浸して涼みとる…」のところなど所作がすごくきれいでさすがと思わせます。

そして早笛。ワキが立ち上がるので「帰るのか??」と思ったら場所をあけて天女を座らせるためでした。
別雷の神登場。手には幣。もうちょっと泥臭いほうがよくないかい?と思いましたが、この人も宝生流もそんなに見ているわけではないので、これが本来の持ち味なのかどうか不明。
最後三の松で留めます。太鼓の掛け声が今一つだったなあ。

面は前シテが泣増、後シテが大飛出、前ツレ、後ツレともに小面。

# by soymedica | 2019-05-25 21:56 | 能楽 | Comments(3)

銕仙会定期公演五月 草子洗小町 横座 春日龍神 

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銕仙会定期公演五月
2019年5月10日(金)@宝生能楽堂

草子洗小町
シテ 浅見真州、ツレ(紀貫之)清水寛二、(壬生忠岑)和泉雅一郎、(凡河内躬恒)小早川泰輝、(官女)鵜澤光、観世淳夫 子方 谷本康介、ワキ 福王和幸、アイ 内藤連
笛 松田弘之、小鼓 曽和正博、大鼓 國川純
地謡 浅井文義ほか
後見 観世銕之丞、浅見慈一

横座
シテ 石田幸雄、アド 野村万作、小アド 石田淡朗

春日龍神
シテ 安藤貴康、ワキ 大日方寛、ワキツレ 御厨誠吾、野口能弘、アイ 飯田豪
笛 栗林祐輔、小鼓 烏山直也、大鼓 柿原光博、太鼓 桜井均
地謡 柴田稔ほか
後見 永島忠侈、清水寛二


草子洗小町は子方も必要だしツレも多いからなかなか大変な演目のように思うが、結構出る曲なんだなあと思う。観世は宝生よりもツレの数が多くて(女官も二人いるし)お金かかりそう。などなど思いながらパンフレットを見ていると期待も高まります。
しっかり役名のついているツレが一言もセリフが無かったり不思議な構成なのだけれど、それについての考察がパンフレットに載っているのでご興味のある方は一読を(要するに、曲として若い)。

御調べが始まる。ずいぶん控えめな笛だな、と思ったら松田弘之。本番ではいつもの素敵な調子でした。
歌合わせに勝ちたい黒主が、小町の家に偵察に。お伴をつれて行くのだが、お供に理由を教えてしまうのはワキが甘いと思います。悪いことをするときには仲間は少し、理由は教えない。

三の松のところで歌を読む小町。聞き耳をたてる黒主。割と好きな所です。やっぱり浅見真州は上手いし、ひところのギラギラした感じが影をひそめて美しい。

さてさて、歌合わせ本番。ほっぺたがかわいらしい帝を先頭に全員入場。でも、歴史上このくらいの幼帝って実際に何人もいたんだよねえ。
正先に出される短冊。宝生は机のような形でしたが、こちらは浅い籠のようなものに色とりどりの短冊が5枚。
紀貫之が読んだ歌が「ほのぼのと明石の浦の朝霧に」だったかな。
で、小町の歌は、「まかなくに何を種とて浮草の なみのうねうね生い茂るらん」。
皆さん絶賛なんですが、そんなに良い歌??

この後、これが盗作だとする黒主との緊張した駆け引き、と解説にはあるけれどそれはあんまり感じられなかったです。
それより、抗議の受け入れられなかった小町の落胆ぶりが前面に。私なら「くやしー、嘘つき!!」となるところですが、あくまで上品。
証拠の万葉集を受け取った小町が「?!」と思う所が面をかけていても感じられて良かったです。

紆余曲折あって小町は皆の前で草子を洗うことを許されるのですが、まず後見座に行って唐降を脱ぐ。そして草子は床に置かず、左手に持ったままで扇で普通に洗い流す動作。上村松園の絵のあのポーズはしませんでした。残念。

流れ落ちた墨を黒主に示し、住吉の神に手を合わせてから帝に見せる小町。
面目を失った黒主は自害すると言って小町と帝に止められる。
この面々で武士のような「自害」が出てくるのがちょっとミスマッチだといつも思います。

最後は小町が喜びの舞を舞ってめでたしめでたし。
最初に見たときには王朝絵巻のようで楽しいな、と思ったのですが、何回か観ると曲の弱さを感じます。パンフレットにもあったけれど何か完成度が低いのでしょうねえ。

面はシテが作者不詳の節木増、ツレがいずれも小面で一つが作者不詳、一つが西村雅之作。


初めて見る横座。迷い牛を自分のものにしてシメシメと思っている万作、かわいがって座敷に上げて横に座らせていた牛がいなくなり必死で探している石田。
ぱったり出会う…。二人ともその牛が本当は石田のものだとわかっているけれど、証明する方法が無い。

「自分の牛なら呼べば答える」という石田。
2度ほど呼ぶが答えはない。「自分の声をしばらく聴いていないせいだ」と、長々と牛に故事来歴を聞かせるところが目玉。
ついに牛は鳴いて、石田は牛を引いて帰ります。

万作と石田のやり取りを聞いているだけで楽しい一曲でした。
ちなみに牛のもんぱの中にいるのは石田の息子らしい。ネットで見るとハンサムさんなのですが、残念なことに面をかけていてわからず。


とてもよく出る春日龍神
明恵上人一行がやってくる。息の合った一行で謡がきれい。御厨誠吾は声につやがあるな。
どうも中国留学の前にお参りに来たらしい。

そこに一人のすらりとしたおじいさん登場。なぜか一行をすぐに明恵上人たちだと見破る。
このシテの謡、目の前に謡本のゴマ点が浮かび上がってくるようなきっちりした歌い方なのに、舌小帯が短いかのような発音で不思議。

留学なんかしないでも今の日本で十分だ、と超保守派のようなことを言うお爺さん。
中国に行って広い世界を見たほうが良いと思うのだが、結局明恵上人は唐になんかさして行きたくなかったのか、説得されてしまいます。

社人がやってきて語るところ、この人のアイ語り聞くの初めてかなあ。そんなはずないのだけれど、なんか初々しい感じでした。

そして勢いよく龍神登場。
前シテに比べてずっと動きがきれい。静止するところが今一つかな、とも思ったけれど楽しめました。
尉って演じるのが難しいのかもしれない。

囃子は元気でいかにも若かったです。

面は前シテが作者不詳の子牛尉、のちシテが石原良子の黒髭。

# by soymedica | 2019-05-19 09:38 | 能楽 | Comments(2)

国立能楽堂定例公演四月 鈍太郎 邯鄲

d0226702_14070341.jpg国立能楽堂定例公演 
2019年4月19日(金)18時30分

狂言 和泉流
鈍太郎
シテ(鈍太郎)野村万禄、 アド(下京の女)小笠原匡、(上京の女)吉住講

能 喜多流
邯鄲
シテ 大村定、 子方 大村稔生、 ワキ(勅使)殿田謙吉、(大臣)大日方寛、則久英志、野口琢弘、(輿舁)館田善博、野口能弘、 アイ 能村晶人
笛 一噌幸弘、小鼓 幸信吾、大鼓 柿原光博、太鼓 小寺真佐人
後見 塩津哲生、内田安信
地謡 友枝昭世ほか


三年京都を不在にしていた鈍太郎。二人の妻(1人には子供もいるらしい)の元に帰って来る。万禄は確かに万蔵との血縁を感じさせる顔。三年不在だと伊勢物語みたいに捨てられちゃうんだぞ、と思っていたらやはりどちらの妻も強そうな男と同棲しているらしい。
と思ったら、妻たちは用心のために男のいるふりをしているだけ。
やはり女の一人住まいは昔は不用心だったのでしょうねえ。

すっかりへそをまげた鈍太郎は出家してしまう。自分は世を捨てた、と涙してお念仏を唱えるんだが、ナンチャッテ出家なのが見所にもバレバレで、念仏のところで失笑が。

たいしたことない男でもいた方がましなのか、帰ってきた男が確かに鈍太郎だとわかると、妻たちは一生懸命男のご機嫌をとる。
どうやら鈍太郎は上京の女の方が圧倒的に好きらしいのだが、上京の女はそこに乗じることもせず、結局鈍太郎は双方の家にほぼ半々ずつ帰ることになる。
きっといなきゃ困るけれど、ずっと居てほしいほどの男ではないんだろう。

野村万禄は九州で頑張っている人らしい。今回初めて意識して見たが、上手い。今の万蔵より上手いんじゃないの。


能楽師皆が好きな邯鄲。今日はずっと気になっていたのに観る機会の無かった大村定のシテ。子方はお孫さんの稔生くん、10歳。
囃子方が入ってきて、びっくり。タイムワープして柿原崇志が若くなったのかと思った。次男だそうだが、よく似ている。

ワキ座に大宮が組まれると、やってきた宿の女主人が邯鄲の枕についてひとくさり自慢。割と控えめな語りでした。もっとイケイケでやってもこの人なら上手くはまりそうなんだけれど。今まで見た邯鄲の女主人で一番印象に残っているのは石田幸雄かなあ。

やってきた盧生。老女ものかと思うほど慎重な運び。掛絡の不規則な格子と法被の金箔が合わさって遠目には何となくクリムトの絵のように見える。(ま、クリムトが日本の影響を受けたのだろうけれど)。
英語字幕だと盧生はLusheng, 彼の目指す羊飛山はYangfeiなんだなあ。これは現代中国語読みなんだろうか。

ちょっと身なりの良い盧生に宿の女主人は下にも置かないもてなし。ちょっとお休みなさいな、あの枕で。
ここでは横になるしぐさをするだけで、実際には枕に頭をつける間もなく夢の場面に切り替わり、勅使登場。盧生は宮殿へと輿に乗って出かけます。
こんなことってあるのか!と晴れがましく思っている盧生を残し、真の来序で勅使と輿舁は退場。輿を囃子方のうしろに残して行ってしまって、あれどうするのだろう、と思っていたら盧生が目覚める直前に後見が切戸からお片付け。なるほど、あの輿も「夢」の象徴だったわけですね。

続いて子方と大臣たち登場。
子方の可愛らしい舞に続いて盧生が一畳台の上で舞います。本日西洋人のお客さんが多かったのですが、隣の席のお兄ちゃんは舞が三段目に入ったところくらいで明らかに飽きてきました。
お約束の空降り(そらおり と読むらしい)。割とあっさり。この型についてはもっともらしい説明―盧生の妃がボート遊びしていておぼれ死んだという太平記の話を表現している―が今回の国立のパンフレットに書いてありますが、某能役者が語ったように「偉い人が舞っているときに思わず落ちそうになったのを、皆がヨイショして『素晴らしい型だ』とまねするようになった」というところが本当ではないだろうか。

空下りのあと、シテは舞台を背にしばらく台にこしかけ、さらに台をぐるりと回って舞台へ。また舞が続きます。
舞が見せ場なのはわかりますが、やはり5段(?)も続くと私はつらい。オリンピックイヤーを意識して上演するなら、もっと短くしないと。

先に書いたように、盧生が目覚める直前に輿は片付けられ、子方と大臣たちも切戸から退場。喜多では台に飛び込む所作はどんなかな?と思ったら、台の前で足拍子をドンドンと踏んで飛び込みました。考えてみると今まで何回か邯鄲を見て、一つとして同じ戻り方は無かったと思う。

女主人に起こされる盧生。ちょっと起きるのがつらそうでしたが、台の上で胡坐をかいて呆然としている姿がなかなか様になっている。
そして枕を捧げ持ち、感謝。故郷に帰っていくのでした。

面は友水の邯鄲男。



# by soymedica | 2019-04-23 23:24 | 能楽 | Comments(2)