喜多流職分会 平成23年6月自主公演能

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喜多流職分会 平成23年6月自主公演能 

粟谷明生ブログでの割引で5000円。自由席だったので、中正面の前から2番目で見ました。なかなか良い席でした。



放下僧 (見ていません)

狂言 蟹山伏
シテ 三宅近成、アド 高澤祐介、小アド 金田弘明

杜若
シテ 佐藤章雄、ワキ 館田善博
大鼓 亀井実、小鼓 田邊恭資、太鼓 桜井均、笛 寺井久八郎

仕舞:柏崎 道行 大島政充

昭君 附祝言
シテ 粟谷明生、シテツレ 内田成信、子方 金子天晟、ワキ 大日方寛
大鼓 柿原弘和、小鼓 曽和正博、太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一


狂言蟹山伏。なり立てほやほやらしい怪しい山伏が強力と山へ。そうすると恐ろしい蟹の精登場。(どろどろという効果音と共に舞台に走り込む。笑いました。)「目が天に向いていて、鋏が2本、足が8本だぞよ」ってなことを難しい言葉で言ったあとは、ひたすら鋏を動かす、かに道楽の看板みたいなお化け。
こういうのって、子供向け普及会でやったら受けるんじゃないかな。子供じゃないけれど、面白かった。


杜若。シテの登場の時から非常に気になったのですが、シテの上体が歩くたびにひどく揺れるのです。あれは許容範囲内なのでしょうか。気のせいか、地謡の友枝昭世がシテをにらみつけていたような…。この能は華やかさが売りなのだと思うのですが、何となく地味な印象をうけたのはなぜでしょう。前回みたのが華やかさを売り物にしている(と思われる)観世流の家元の杜若だったせいか??それと、近くで見ていたせいもあるのかもしれませんが、物着が何となくバタバタした感じ。
シテはどこかお悪いのではないでしょうか。あるいは喫煙者なのか、近くで見ていると息が上がっているのが如実にわかる。
もしかしたらシテの持ち味と、「杜若」(これって、綺麗で、綺麗でっていう能ですよね)が合っていないのかもしれない。
ということで、何となく不完全燃焼の杜若でした。


昭君。シテの粟屋明生のブログで予習はばっちり。
アイが出てこない形なので、どうやって時間を稼ぐのかとおもっていましたが、謎が判明。
子方が王昭君をするのだが、飾り物をうるさそうにしているのが可愛い。ちゃんと謡の出だしがわかるのだろうか、とドキドキ。地謡一同も心なしかドキドキしているように見えます。ぜーんぶ子方がセリフを言い終わったところで、見所および地謡一同ほっとしてコロスへ(笑)。

シテは余裕の演技だったのでは。「もっと見ていたい」感が残り、大満足でした。お話の筋からは本当は可哀そうなのは王昭君とその両親なのでしょうが、なんだか韓耶将って可哀そう、って思わせる舞台でした。現代では「異国の地に一人娘が嫁に行ってしまった」という寂寥感が共有できないからかもしれません。
橋掛かりで両親が嘆くときには、「おかわいそうに」と、思えるのですが、後場で韓耶将が「来るな」とか言われちゃうと、「野蛮人なのに妻の両親にあいさつにわざわざ来た礼儀正しい奴。そんなに邪険にしなくても。」と、思いません?

両親が着ているベスト、あれは側次と呼ぶらしい。王母のはデイジーのような花が咲いているモダンな模様でした。面もモダンな感じがしました。でも、面に書いてある白髪と鬘の白髪の度合いがあっていないのが気になるのですが、ああいうものでしょうか。


今回はあんまり参考になる本が無かったので、参考文献は粟谷明生のブログ、ということで。面や装束の選択についても書かれています。
シリーズになっているので初回と最終回とを貼り付けておきます。

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http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/658bf5de7c420df9687602d3d72ff0f5/1d
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# by soymedica | 2011-06-28 08:18 | 能楽 | Comments(2)

第4回のうのう能プラス 井筒

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第4回のうのう能プラス 
6月25日14時から @宝生能楽堂
正面席7000円

解説 山中玲子

仕舞 雲林院 観世喜正

能 井筒 
シテ 武田志房、ワキ 福王和幸 アイ 高澤祐介
大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎、笛 一噌隆之


宝生能楽堂へ。隣には「都立工芸高校、宝生能楽堂、金毘羅宮東京分社(能楽堂のとなり)一帯は高松松平家下屋敷のあったところで云々」という看板あり。
ここの橋掛りは舞台とほぼ直角についている。席は前から4列目の真ん中右寄り。実はこの席が若干問題だったのだが、それはあとで。

まず、山中玲子先生の解説
井筒は伊勢物語をベースにしたもので世阿弥作といわれているが、多くの伊勢物語をベースにした能は、世阿弥以前にその劇作が既にあって世阿弥が手を入れたものと考えられている。たいして源氏物語をベースにしたもの(源氏能と言われる)は、世阿弥よりあとの作品が多いということ。

伊勢物語に題材をとっているといっても、伊勢物語そのものではなく、中世に多く書かれた伊勢物語の注釈書に拠って書かれた能である。(ここで、「サザエさん」をもとに、「サザエさんの秘密」とかいろいろな本がありますよね、そういう本です、という面白いたとえ有り。)ですから、井筒の女が紀の有常の娘である、と思っているのは現在では能を見ている人だけが知っていることかもしれないと。謡を読んでいて「へー、井筒の話と、よその女に通う夫の身を心配する話と、3年来無かった男を追いかけて死んじゃう話って同じ人だったんだ。」と感心していたのですが、それは能の中だけでの話だったらしい。

伊勢物語を題材にした一連の能の特徴として(井筒は違いますが)ワキが僧ではなく、伊勢物語の愛読者として設定されているものが多いということも挙げられるそうです。井筒のワキも僧侶ではありますが、伊勢物語に詳しいという前提があります。
源氏能のシテは僧侶に救いを求めてあらわれるものが多いのに対し、伊勢物語の能では、伊勢物語の謎解きとか裏話を打ち明ける、といったタイプのものが多いそうです。

そして、世阿弥が井筒を「自信作」と思っていたのは、今までそのように秘伝の解き明かしにすぎなかった伊勢物語の能に、「シテの回想」というしみじみした情感を付与したことにあるのではないだろうか、とのことです。舞台は廃寺ですし、季節はしみじみし秋に設定されています。

以上、大変ためになるお話でした。聞いて良かった。


仕舞は 喜正の雲林院。この人、声が良いですね。仕舞も端正で、人気があるというのがわかります。


さて、いよいよ井筒
ワキの登場です。最初にこの福王和幸を見た時にはあまりに大きいのでびっくりしましたが、今回は喜正も大きな人らしいので、あまりびっくりはしませんでした。
ただこの人、とってもきちんとお稽古してそつのない目立たない所作をするという印象。シテが誰でも、どんなときでもロボットのように同じことをするのではないだろうか、と思わせるところあり。(単なる印象です。)

シテ。地味目の衣装です。以前この人で「鷺」を見たときにはどこが良いのかよくわからなかったのですが、今回はとても素敵だと思えました。力の抜けた美しい、押しつけがましくない所作。謡も緩急があって聞かせどころはとても聞きやすい。もしかしてこの人には観世能楽堂はちょっと大きすぎるのかもしれないと思いました。
お囃子も今回は良かったし。

この能は松岡心平によると、「男性が女性を演じ、さらにその女性が男装する」という倒錯的なところに美しさがあるそうですが、それについてはあまりわかりませんでしたね。直面でやっていた時代の話でしょうか。


で、で、問題の席。私の左手は通路。右に80歳は超えているだろうと思われるお婆さん。さらにその向こうの女性と開演前に声高に話していたので連れかと思ったら、その女性ころ合いを見計らって逃げだしたのであきらかに他人。
お婆さん、(こういうことは言いたくはありませんが)加齢臭が凄い。普段老人と接することが多いのでわかりますが、毎日入浴して頭も洗っていればああはなりません。狭い能楽堂に行くのですから、一寸は考えてほしい。自分の臭いはわからないものですから。

そしてこのお婆さん、どうやら謡をやる人らしいのですが、興味のあるところに来ると手提げから謡本を出してごそごそ。途中で仕舞って今度はパンフレットをがさがさ。これをずーーっとエンドレスに繰り返す。果ては間狂言のところでは持っていた折り畳み日傘を折りたたみ始める。これはさすがに前の席の人が振り返ってにらんでいましたが、どこ吹く風。仕舞には興味がないと見えて、序の舞のところではまたパンフレットをがさがさ出して点検。

ほとほとあきれました。きっと高齢になって、周囲に気が回らなくなっているのだと思います。自分が迷惑をかけていることに全く気付かない(おそらく気づいたらものすごく恐縮するだろうとは思われる、品の良い感じの人ではありました)。
感動人様のブログでも同じような迷惑な爺さんについて書かれていましたが…。



そのうち本全体の感想をアップしますが、「幻視の座・宝生閑聞き書き 土屋恵一郎 岩波書店」に、この井筒についてとても面白いことが書かれていました。
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# by soymedica | 2011-06-26 10:01 | 能楽 | Comments(0)

宴の身体

d0226702_23152618.jpg宴の身体 バサラから世阿弥へ 松岡心平 岩波現代文庫

一言で言うと、こういう系統の本があったらまた読みたいので、誰か紹介してくさだい、という読後感でありました。気に入りました。
色々な雑誌に執筆されたものを一冊にまとめた本ですが、その際かなり編集に気を使ったとみえて統一感があります。

能を生んだ中世という時代、連歌やさらに高級とされた詩歌との関係、踊念仏そのほか宗教との関係などなど、一般向けにさらっと読めるように書かれています。
研究書ではなく、ハウツーものでもなく、満足感たっぷり。

ところで、「幽玄」とは、もともと少年美を言ったらしい。それも17,8までの。発育の良い今で考えると15,6歳くらいまででしょうか。何となくピンとこない。子方ってもう少し小さな子を考えていたせいかもしれません。
でも、確かにヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」のあの男の子は「幽玄」かもしれないな、とふと思いました。

後書きや奥付からは1991年に単行本として発行され、2004年に文庫化されたものだと思うのだが、きっと評判が良かったのでしょうね。
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# by soymedica | 2011-06-23 23:16 | 本・CD・その他 | Comments(2)

国立能楽堂 音曲聟 通盛

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国立能楽堂 定例公演 6月17日(金)18時30分
正面席 4800円

音曲聟 和泉流
シテ(聟)三宅近成、アド(舅)三宅右近、小アド(太郎冠者)三宅右矩、小アド(教えて)前田晃一

通盛 観世流
シテ 梅若玄祥、ツレ 梅若紀彰、ワキ 宝生欣哉、ワキツレ 御厨誠吾、アイ 高澤祐介
笛 松田弘之、小鼓 曽和正博、大鼓 白坂保行、太鼓 金春國和


本日は職場を早く出て何か食べてから、と思っていたら帰り際に呼び止められたり電車が少し遅れたりで、結局ぎりぎり。
能楽堂前の路上に、こんなんで東京の道を曲がれるのだろうか、と思うような長―――いストレッチリムジンが止めてあったが、関係者やお客さんのでは無いでしょうね。でも、あの辺あんな車が止まりそうな建物はありませんが。もしや能楽界の大パトロンとか。


まず、狂言。音曲聟とは、うーーーむ、聟に恥をかかせまいとする優しい舅。招待客の野蛮人の王様に恥をかかせないようにフィンガーボールの水を飲んだイギリス女王(ヴィクトリアですよね、今のエリザベスじゃないよね)のような話。
この狂言のおうちの人たちは皆なかなかのルックス。あとで玄祥さんや地謡の銕之丞さんを見ていてふと思ったのですが、狂言の人って太った人いませんね。


通盛。昔は人気曲だったそうですが、そして私はとっても良い話だと思うのですが、意外なほど解説本が少ない。手持ちの本では下の本(すでに絶版)だけ。能楽堂のプログラムの解説も良かった。

平家の多くの人が海に沈んだ鳴門で一門を弔っている僧。その前に現れた漁師と女。それは通盛とそのあとを追って死んだ小宰相の二人の霊でした。後場では合戦前の最後の別れを惜しむ二人と、討ち死にする通盛の様子が演じられますが、最後の晩愛人(通盛には本妻、とはいってもまだ子供、が別にあった)と別れを惜しんでいると、弟に「何やってるんだ!」と言われてしまうのが、恥ずかしい、と。昔からどこでも長男は優しくて、次男はきかん気だったのですね。

地謡には受勲した銕之丞さんも。でも、だれか一人だけ妙なビブラートの美声を発していたような、あれが銕之丞さんに思えたのですが、まさかね。

今回は結構予習していったので舞台もじっくり見られたのですが、席の選択を間違った。正面席前のほうの右端だったら
のですが、ワキ柱がじゃまになってワキツレがほとんど見えない!!これは残念。多少前の頭が邪魔になっても、真ん中寄りを買うのだった。(国立能楽堂はこの席を一番良いランクで売っているけれど、もっと細かい席割をしている公演ではこの席はランクが落ちるのも、尤もな話。)


さてさて、今回も本を買っちゃった。でも、文庫本で800円だから、と、自分に言い訳。
今日は品揃えがいつもと違うな、と思ったら檜書店ではなくて、能楽書林でした。

参考は
能の平家物語  秦恒平 朝日ソノラマ
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# by soymedica | 2011-06-18 13:02 | 能楽 | Comments(0)

太郎冠者を生きる

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太郎冠者を生きる 野村万作 白水社

1984年に単行本として出された本の文庫化。
万作は1931年生まれだそうだから、まだ53歳の時です。ちなみにあのネスカフェの広告が1977年。あのとき「猿に始まり狐に終わる」というコマーシャルを見て、子供ながら「これ、見てみたいな」と思った記憶があります。

出版されたのが古いので、その間襲名があった人もあり、誰が誰やら最初はちょとややこしいですが、面白い本です。東京に出てきてやっと一家をかまえたおじいさん(万斉)が一家の基礎を作り、それをしのいで芸の基礎を作った父、万蔵。息子たちはさらに父を越えようか、という時点での話です。

気の向くままに口述したものをあとから字にした、ということです。編集者の手が入ってもいるようですが、本人が語る面白さや臨場感はあってもいささか統一性に欠ける仕上がりの本になってしまっています。すぐれたジャーナリストに聞き書きをして書いてもらった方が良かったのでは、とも思いますがこれはこれでまた別の面白さがあるかもしれない。

万作が他のジャンルに色々踏み込んだり、海外公演をやったり、というのは初めてしりました。今の二世萬斎が、留学したり、現代劇をしたりするのは、やはり万作を意識してのことなのですね。

「釣狐」のあとにくるのは、「普通の太郎冠者を普通に演じる」という課題だそうです。万作59歳の時点を評した人は「まだまだ」と、文庫のための後書きに書いていますが。

これは絶版になってしまっているのでアマゾンの古書で買いました。
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# by soymedica | 2011-06-15 21:01 | 本・CD・その他 | Comments(0)