憂世と浮世

d0226702_2152100.jpg














憂世と浮世 世阿弥から黙阿弥へ 河竹登志夫 NHKブックス

有名な歌舞伎研究家の本ですから、当然歌舞伎に偏った解説ではありますが、能、文楽、歌舞伎の3者について比較しようという本。そして狂言にも言及しています。
能の「敦盛」と歌舞伎の「一の谷嫩(フタバ)軍記」の比較などができます。

なかなか面白くすらすらと読める本ではありましたが、「能」「文楽」「歌舞伎」について初心者にもわかるように説明しつつ、このボリュームに収めるというのは困難ではなかろうか、と。私の読解力不足化もしれませんが、「どうして同じ平家物語に題材をとりながら、こんなに違った話に展開するのか。」というところが「時代の要請」くらいしか説明されていないように思うのです。

ということで、何となく物足りない感じがしました。
ちなみに1994年発行ですでに絶版になっているのでアマゾンマーケットプレイスで。



写真は東京の国立市にある一橋大学法科大学院のステンドグラスです。
[PR]
# by soymedica | 2011-07-07 21:07 | 本・CD・その他 | Comments(0)

観世会定期能 2011年7月

d0226702_122687.jpg
観世会定期能 2011年7月3日

雨月 
シテ 武田志房、ツレ 小早川修、ワキ 宝生閑、アイ 善竹富太郎
大鼓 佃良勝、小鼓 幸清次郎、太鼓 小寺佐七、笛 内潟慶三

狂言 水掛聟 善竹十郎 善竹富太郎、大蔵基誠

夕顔
シテ 片山幽雪、ワキ 福王茂十郎、アイ 善竹十郎
大鼓 國川純、小鼓 観世新九郎、笛 一噌仙幸

仕舞
兼平 寺井栄、通小町 観世清和、班女(舞アト)木月孚行、大江山 上田公威

碇潜 附祝言
シテ 関根知孝、ワキ 則久英志、アイ 善竹大二郎
大鼓 柿原光博、小鼓 幸信吾、太鼓 助川治、笛 松田弘之

正面席12500


雨月。絶対に退屈するだろうな、と思っていたらこれが一番面白かった。ワキは西行法師。ボロ屋の風流な夫婦と思っていたのは住吉明神であったという話。和歌を主題にした能だし、たいして動きも無いだろうし、とおもっていたのですが、何が面白かったのだろうと考えても良く分からないが、面白かった。
武田志房は前回に続いてヨロシカッタデス。

そして、宝生閑のさらっとした感じがこの能に合っていたのだろうと思います。(シテの歌いだしが遅かったのか、一瞬「うん?」という感じだったのが面白かった。)

旅の僧は頭巾の上に笠をかぶるのですね。
後シテの衣装の色合わせも素敵でした。
…笛がいま一つだったかな。


狂言水掛聟。舅と聟が田の水を取り合う話。善竹十郎は始めてみましたが、とても上手い。自分の田を眺めるところで、青々とした田がそのへんに浮かび上がるようでした。ところで衣裳の背中の絵は何だったのでしょう。アーチ型の建物の絵のように見えたのですが。水掛聟だからローマ式の水道橋???


夕顔。滅びの美、というならシテがそれでしょうか。座るのも立つのもつらそうなのが一目でわかります。立つときはあらかじめ一人では立てないことがわかっていたのでしょうね、後見が支えていました。絶句しちゃってましたしね。80歳を過ぎた人間国宝なのですから、しょうがないとはしても、仲間うち、ファン以外の観客がいるところに連れ出して衣装をつけた能を一曲というのは、無理がないだろうか…。


碇潜。前に見た通盛がお兄さんの話で、これはその弟の知盛の話。弟はひたすら勇壮に戦ったらしい。私の持っていた半漁文庫のコピーでは、後場ではツレ(たぶん子方)が出るようなのですが、本日はナシ。勇壮な舞でした。
ワキは初めて見る人(ワキ連れで一回見ているらしいが)でしたた、やたらに声が大きくてかつ美声。こういうものには良いのでしょうが、シテとのバランスではどうなのだろう。そしてこんなに栄養のよさそうな声を出す坊さんは中世にはいなかったような気もします。


左隣のお兄さん(と思っていたら老眼鏡を取り出した。良く見たらおじさん)は、私と同じく半漁文庫のコピーを持っている。でも、私と同じくほとんど見ず。バックパックにお昼と飲み物持参。(だって能楽堂の自動販売機、高いのだもの。)こちらは理解可能。

右隣りの着物の小母さん(名前付きの指定席だから定期会員かな)は、なんとハンドバックからメジャー(何か測るやつですよ。真ん中のボタンを押すと巻き戻る)を出して、休み時間にどこかへ。こちらは理解不能。

世の中には色々な人がいるものです。



能の表現 清田弘 草思社
能よ古典よ! 林望 檜書房
いずれも雨月の解説です。

上の漫画のキャプションは「『この中にお医者さんはいませんか?』それはハロルドが25年前に臨床家になってからずーっと待っていた声だった。」いえ、夕顔の舞台の時にふと思いだしたものですから。
[PR]
# by soymedica | 2011-07-04 12:31 | 能楽 | Comments(0)

能楽雑誌

d0226702_189555.jpgどんな分野にも愛好家のいるところ、雑誌が生まれる。「ミステリマガジン」とか、「鉄道ファン」とか。そして世界が狭ければ狭いほど、読者と編集者の距離は短い。

能樂関係でよく見かけるのは「観世」「能樂ジャーナル」。新聞のような「能楽タイムス」もありますよね。ZEAMIなんていうのもあって扱いはなぜか書籍だけれど、見かけは派手な学術雑誌。

それぞれ何部くらい発行されているのか知らないが、「読者のページ」みたいな欄がないので、何となくそのほかのマニアの雑誌より編集者と読者の間に距離がある。
「観世」なんて、観世流のファンやお弟子さんの雑誌ではなく、かなり格調高し。数年経ったらこれをレファレンスに並べて論文が書けそう。各家や会も定期的なパンフレットを発行していたりするけれど、どれもこれも「部数を伸ばそう」というよりは、「拡張高く行こう」という感じなのが、いかにも「能」。

「能楽ジャーナル」はもっと舞台評に寄ったつくり。舞台評論と言っても能は連続興業をしないので、「あれが良かった」と言われても見に行くわけにはいかない。「私の見たあの舞台の私の感想」と「評論家の感想」をすり合せて比較するのだろうか?それもなんだかちょっと。
編集者はかなり個性の強い方らしい。私の好きな英国の推理小説作家にP.D.ジェイムズという人がいるて、この人の小説にはときどき「自分の金で道楽で雑誌を発行して好きなようにペンを振りかざす」教養人が出てくる。「能楽ジャーナル」をよむと、それを思い出す。

というわけで、もうちと柔らかいつくりの雑誌を出したら結構売れるのではないか(「今月のグラビア」に人気能楽師や狂言師の日常とか出しちゃったりして)、とおもうのだが、参入する大手業者がいないところをみると、購買人口は限られているらしい。まあ、「観世」や「能楽ジャーナル」の広告主を見ていると、あんまりおいしい商売にはなりそうもないか。

ということで、新ビジネスの企画は頭のなかで潰えたのでした。
[PR]
# by soymedica | 2011-07-02 18:10 | 本・CD・その他 | Comments(4)

喜多流職分会 平成23年6月自主公演能

d0226702_812571.jpg

喜多流職分会 平成23年6月自主公演能 

粟谷明生ブログでの割引で5000円。自由席だったので、中正面の前から2番目で見ました。なかなか良い席でした。



放下僧 (見ていません)

狂言 蟹山伏
シテ 三宅近成、アド 高澤祐介、小アド 金田弘明

杜若
シテ 佐藤章雄、ワキ 館田善博
大鼓 亀井実、小鼓 田邊恭資、太鼓 桜井均、笛 寺井久八郎

仕舞:柏崎 道行 大島政充

昭君 附祝言
シテ 粟谷明生、シテツレ 内田成信、子方 金子天晟、ワキ 大日方寛
大鼓 柿原弘和、小鼓 曽和正博、太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一


狂言蟹山伏。なり立てほやほやらしい怪しい山伏が強力と山へ。そうすると恐ろしい蟹の精登場。(どろどろという効果音と共に舞台に走り込む。笑いました。)「目が天に向いていて、鋏が2本、足が8本だぞよ」ってなことを難しい言葉で言ったあとは、ひたすら鋏を動かす、かに道楽の看板みたいなお化け。
こういうのって、子供向け普及会でやったら受けるんじゃないかな。子供じゃないけれど、面白かった。


杜若。シテの登場の時から非常に気になったのですが、シテの上体が歩くたびにひどく揺れるのです。あれは許容範囲内なのでしょうか。気のせいか、地謡の友枝昭世がシテをにらみつけていたような…。この能は華やかさが売りなのだと思うのですが、何となく地味な印象をうけたのはなぜでしょう。前回みたのが華やかさを売り物にしている(と思われる)観世流の家元の杜若だったせいか??それと、近くで見ていたせいもあるのかもしれませんが、物着が何となくバタバタした感じ。
シテはどこかお悪いのではないでしょうか。あるいは喫煙者なのか、近くで見ていると息が上がっているのが如実にわかる。
もしかしたらシテの持ち味と、「杜若」(これって、綺麗で、綺麗でっていう能ですよね)が合っていないのかもしれない。
ということで、何となく不完全燃焼の杜若でした。


昭君。シテの粟屋明生のブログで予習はばっちり。
アイが出てこない形なので、どうやって時間を稼ぐのかとおもっていましたが、謎が判明。
子方が王昭君をするのだが、飾り物をうるさそうにしているのが可愛い。ちゃんと謡の出だしがわかるのだろうか、とドキドキ。地謡一同も心なしかドキドキしているように見えます。ぜーんぶ子方がセリフを言い終わったところで、見所および地謡一同ほっとしてコロスへ(笑)。

シテは余裕の演技だったのでは。「もっと見ていたい」感が残り、大満足でした。お話の筋からは本当は可哀そうなのは王昭君とその両親なのでしょうが、なんだか韓耶将って可哀そう、って思わせる舞台でした。現代では「異国の地に一人娘が嫁に行ってしまった」という寂寥感が共有できないからかもしれません。
橋掛かりで両親が嘆くときには、「おかわいそうに」と、思えるのですが、後場で韓耶将が「来るな」とか言われちゃうと、「野蛮人なのに妻の両親にあいさつにわざわざ来た礼儀正しい奴。そんなに邪険にしなくても。」と、思いません?

両親が着ているベスト、あれは側次と呼ぶらしい。王母のはデイジーのような花が咲いているモダンな模様でした。面もモダンな感じがしました。でも、面に書いてある白髪と鬘の白髪の度合いがあっていないのが気になるのですが、ああいうものでしょうか。


今回はあんまり参考になる本が無かったので、参考文献は粟谷明生のブログ、ということで。面や装束の選択についても書かれています。
シリーズになっているので初回と最終回とを貼り付けておきます。

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/aecc559fbc2815730c231dfa3784d030/1d
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/658bf5de7c420df9687602d3d72ff0f5/1d
[PR]
# by soymedica | 2011-06-28 08:18 | 能楽 | Comments(2)

第4回のうのう能プラス 井筒

d0226702_95610100.jpg

















第4回のうのう能プラス 
6月25日14時から @宝生能楽堂
正面席7000円

解説 山中玲子

仕舞 雲林院 観世喜正

能 井筒 
シテ 武田志房、ワキ 福王和幸 アイ 高澤祐介
大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎、笛 一噌隆之


宝生能楽堂へ。隣には「都立工芸高校、宝生能楽堂、金毘羅宮東京分社(能楽堂のとなり)一帯は高松松平家下屋敷のあったところで云々」という看板あり。
ここの橋掛りは舞台とほぼ直角についている。席は前から4列目の真ん中右寄り。実はこの席が若干問題だったのだが、それはあとで。

まず、山中玲子先生の解説
井筒は伊勢物語をベースにしたもので世阿弥作といわれているが、多くの伊勢物語をベースにした能は、世阿弥以前にその劇作が既にあって世阿弥が手を入れたものと考えられている。たいして源氏物語をベースにしたもの(源氏能と言われる)は、世阿弥よりあとの作品が多いということ。

伊勢物語に題材をとっているといっても、伊勢物語そのものではなく、中世に多く書かれた伊勢物語の注釈書に拠って書かれた能である。(ここで、「サザエさん」をもとに、「サザエさんの秘密」とかいろいろな本がありますよね、そういう本です、という面白いたとえ有り。)ですから、井筒の女が紀の有常の娘である、と思っているのは現在では能を見ている人だけが知っていることかもしれないと。謡を読んでいて「へー、井筒の話と、よその女に通う夫の身を心配する話と、3年来無かった男を追いかけて死んじゃう話って同じ人だったんだ。」と感心していたのですが、それは能の中だけでの話だったらしい。

伊勢物語を題材にした一連の能の特徴として(井筒は違いますが)ワキが僧ではなく、伊勢物語の愛読者として設定されているものが多いということも挙げられるそうです。井筒のワキも僧侶ではありますが、伊勢物語に詳しいという前提があります。
源氏能のシテは僧侶に救いを求めてあらわれるものが多いのに対し、伊勢物語の能では、伊勢物語の謎解きとか裏話を打ち明ける、といったタイプのものが多いそうです。

そして、世阿弥が井筒を「自信作」と思っていたのは、今までそのように秘伝の解き明かしにすぎなかった伊勢物語の能に、「シテの回想」というしみじみした情感を付与したことにあるのではないだろうか、とのことです。舞台は廃寺ですし、季節はしみじみし秋に設定されています。

以上、大変ためになるお話でした。聞いて良かった。


仕舞は 喜正の雲林院。この人、声が良いですね。仕舞も端正で、人気があるというのがわかります。


さて、いよいよ井筒
ワキの登場です。最初にこの福王和幸を見た時にはあまりに大きいのでびっくりしましたが、今回は喜正も大きな人らしいので、あまりびっくりはしませんでした。
ただこの人、とってもきちんとお稽古してそつのない目立たない所作をするという印象。シテが誰でも、どんなときでもロボットのように同じことをするのではないだろうか、と思わせるところあり。(単なる印象です。)

シテ。地味目の衣装です。以前この人で「鷺」を見たときにはどこが良いのかよくわからなかったのですが、今回はとても素敵だと思えました。力の抜けた美しい、押しつけがましくない所作。謡も緩急があって聞かせどころはとても聞きやすい。もしかしてこの人には観世能楽堂はちょっと大きすぎるのかもしれないと思いました。
お囃子も今回は良かったし。

この能は松岡心平によると、「男性が女性を演じ、さらにその女性が男装する」という倒錯的なところに美しさがあるそうですが、それについてはあまりわかりませんでしたね。直面でやっていた時代の話でしょうか。


で、で、問題の席。私の左手は通路。右に80歳は超えているだろうと思われるお婆さん。さらにその向こうの女性と開演前に声高に話していたので連れかと思ったら、その女性ころ合いを見計らって逃げだしたのであきらかに他人。
お婆さん、(こういうことは言いたくはありませんが)加齢臭が凄い。普段老人と接することが多いのでわかりますが、毎日入浴して頭も洗っていればああはなりません。狭い能楽堂に行くのですから、一寸は考えてほしい。自分の臭いはわからないものですから。

そしてこのお婆さん、どうやら謡をやる人らしいのですが、興味のあるところに来ると手提げから謡本を出してごそごそ。途中で仕舞って今度はパンフレットをがさがさ。これをずーーっとエンドレスに繰り返す。果ては間狂言のところでは持っていた折り畳み日傘を折りたたみ始める。これはさすがに前の席の人が振り返ってにらんでいましたが、どこ吹く風。仕舞には興味がないと見えて、序の舞のところではまたパンフレットをがさがさ出して点検。

ほとほとあきれました。きっと高齢になって、周囲に気が回らなくなっているのだと思います。自分が迷惑をかけていることに全く気付かない(おそらく気づいたらものすごく恐縮するだろうとは思われる、品の良い感じの人ではありました)。
感動人様のブログでも同じような迷惑な爺さんについて書かれていましたが…。



そのうち本全体の感想をアップしますが、「幻視の座・宝生閑聞き書き 土屋恵一郎 岩波書店」に、この井筒についてとても面白いことが書かれていました。
[PR]
# by soymedica | 2011-06-26 10:01 | 能楽 | Comments(0)