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三谷版 桜の園

d0226702_21121658.jpg三谷版 桜の園
原作 アントン・チェーホフ

2012年6月25日(月)19時より@パルコ劇場

ラネーフスカヤ:浅丘ルリ子、
ロバーヒン:市川しんぺー 
ワーリャ:神野三鈴
アーニャ:大和田美帆 
トロフィーモフ:藤井隆 
シャルロッタ:青木さやか
ドゥニャーシャ:瀬戸カトリーヌ 
エピゴードフ:高木渉 
ヤーシャ:迫田孝也 
ピーシク:阿南健治 
ガーエフ:藤木孝 
フィールス:江幡高志


これから見る方、15分前には着席していることをお勧めします。理由はヒ・ミ・ツ。

チェーホフの桜の園、初めて見ました。今までは真面目なお芝居として演じられてきたのだそうですね。没落貴族の悲劇として。でも原作を読むと、確かに悲劇では無い、と現代の(というかドライな)私の眼には見えます。市川しんぺーが「登場人物がもっとちゃんとした人たちだったら10分で決着のつく話」と語っていますが、それをこれだけ延々とああだこうだとやっているというのは、喜劇でしかない。
財閥解体の時代に読んだら身につまされて涙するぼんやりしたお姫様もいるのかもしれないけれど。

でも、「喜劇」としてやります、というのを前面に押し出すはプロモーションの手段としては上手いかも。もちろん、客席が抱腹絶倒するようなものではありませんが、じわっと可笑しい。吉本ではなくて古典落語とかチャップリンとかあのへんを考えてください。

三谷版と言っても原作と大幅にストーリーが変わっているわけでもなく、登場人物も同じ。配役が良かったですね。それぞれ「地じゃないの?」というぴったり感。しいて言えば理想ばかり行っている寄食大学生のトロフィーモフがあまりに立派に理想を語るので、本で読んだ時の彼の薄っぺらさ、うさんくささが薄められているところが気になりました。

1500円のとても中身の濃いパンフレット(写真)を売っているのでおすすめ。
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by soymedica | 2012-06-27 21:12 | その他の舞台 | Comments(0)

観世流研究会能 氷室、長光、俊寛

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研究会能 2012年月20日(水) @観世能楽堂 17時半より

能 氷室 白頭
シテ 岡久廣、 ツレ(前) 下平克宏、(天女)上田公威
ワキ 森常好、アイ 高野和憲
後見 観世清和、寺井栄
笛 杉信太朗、小鼓 観世新九郎、大鼓 柿原弘和、太鼓 観世元伯

狂言 長光
シテ 野村万作、 アド(遠国方のもの)岡聡史、(目代)月崎晴夫

仕舞 
芦雁(キリ)角幸二郎、柏崎(狂)寺井栄、錦木(キリ)関根知孝

能 俊寛 
シテ 山階彌右衛門、ツレ(康頼)武田尚浩、(成経)藤波重彦
ワキ 宝生欣哉、アイ 深田博治
後見 木月孚行、津田和忠
笛 一噌隆之、小鼓 幸清次郎、大鼓 亀井忠雄

附 祝言


ひょんなことから友人に誘われて観世流の研究会に行ってきました。本当は氷室がお目当てだったのですが、さすがに最初からは見られず、着いた時には雪かき(?)をしているところ。
作り物の乗っている台の縁の模様が立浪なのが何となく不思議。

あらすじも勉強していかなかったし、途中からだったのですが、なかなか素敵でした。
シテもツレも、きれいな演技でした。ツレの天女のふくよかさも好ましい。
そして特筆すべきはアイ。雪請いをしたり、雪転ばしをしたり、なかなかの見せ場が多いのですが、これもスッキリ演じていました。
後シテの面は小べシミでしょうか。滑稽な感じで楽しかった。


狂言の長光は途中の筋までは茶壺と同じ。田舎者の刀(長光)を取り上げようとする詐欺師と、仲介に入る目代。ただし、オチは違います。最後に背中に盗んだお宝一式が見えるのが楽しい。


俊寛は見るのは二度目。前回は観世流家元の力の入った舞台だったので、比べるのはかわいそうかもしれませんが、視覚的なダイナミズム(赦免使が来てからの取り乱し方とか、綱が切れる所とか)に若干欠ける感じでした。どこが悪いというわけでもないし、家元の弟として比べるからいけないのかもしれない。でも、この前のこの人の三輪のできからしてももっと行けるはず、と、結構心の中で応援した舞台でした。

祝言は猩々の「つきせぬ宿こそめでたけれ」でした。
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by soymedica | 2012-06-25 08:44 | 能楽 | Comments(0)

趣味

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私の年になると、そろそろ生涯の趣味を考え始めるものらしいです。圧倒的に多いのは、スポーツ系(マラソン多し、80歳までやるんだそうです)、それから旅行、料理ですかね。変わったところでは機関車の模型つくり(子供なら十分に乗って楽しめる大きさと性能)とか。語学も結構います。

80近い私の母は、40歳の時になぜかイタリア語をはじめ(まだやっている)、そこそこになりました。遅くに始めたので会話力はいま一つですが、駅のアナウンスくらいは大丈夫。カルチャーの先生のお誘いで自分の名前が出ている翻訳書も出ました(とても読む気のしない学術書)。

その母の曰く、「あとに作品が残るものを趣味にしなかったことを感謝してね」ですと。確かに、あまり上手でも無い焼きものとか絵とか残されたひには目も当てられない。ときどき「亡父の(あるいは亡妻、亡父、亡母の)作品の形見分けですので」と言って絵だの茶碗だのくださる人がいらっしゃいますが、どういうつもりで素人の作品をそんなに親しくなかった人に配っているのか。親しかった故人の作った食器なら嬉しけれど…。よっぽど処分に困っているのかと勘ぐってしまいます。(あ、S君、奥さんの書はもらうよ、私の方が長生きしたら。)

ということで、能楽鑑賞の趣味はあんまりはた迷惑にはなりそうもないので、マル、ということにしましょう。
写真は趣味で毎年漬けているラッキョウです。

本日「俊寛」を見たのですが、その感想はまた後日。
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by soymedica | 2012-06-20 23:33 | 本・CD・その他 | Comments(0)

国立能楽堂定例公演 簸屑、敦盛

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国立能楽堂 定例公演 
6月15日(金)18時30分開演
正面席 4800円

狂言 簸屑(和泉流)
シテ(太郎冠者)石田幸雄、アド(主)野村万作、(次郎冠者)深田博治

敦盛(観世流)
シテ 関根知孝、ツレ 武田友志、坂井音晴、武田万里
ワキ 村山弘、アイ 高野和憲
笛 一噌幸弘、小鼓 清水皓祐、大鼓 白坂信行
後見 寺井栄、津田和忠


キャッス・キドソンのバッグ、スパッツにワンピース、今一人はパンツにキャミソールに透ける上着、もう一人は黒地に赤いバラの模様のドレス、という若い女の子の三人。能楽堂に向かう私の前を歩いていて、そして共に能楽堂へ。渋谷区主催の観能会の参加者らしい。結構面白い観客層を掴めるかもしれない。

そしてわかりやすい狂言。簸屑。こういうものから入って、次第に深みへ引きずり込む作戦かな。石田幸雄はいつもどおり面白い、そして深田博治、この人は出来不出来の差が大きい。ご自分の会ができたらしいですし、頑張ってほしい。

本日覚えた新しい言葉:しんまく(ケチというか身じまいが良いというか)
前回覚えたのは:お左右(通知)


敦盛は大変期待していたし、期待していただけのことはありました。
まず、ワキの熊谷次郎直実登場。この方前にも思ったのですが、かすかにビブラートのかかった謡。私の好みではありませんが、とても上手いのでは。

草刈り男たちの中の一人が…という出だしは求塚の菜摘女(手持ちの平凡社能楽辞典には観阿弥か?とあります)に似ています。こちらは世阿弥作。皆直面で出てきます。でも、若くして死んだ敦盛なのですから、前シテは若いはずでは。と言うのは冗談ですが、今回関根知孝、はじめて意識してみましたが、とても気に入りました。

さて、一人残った草刈り男、自分は実は敦盛である、と言って消えて行きます。
アイが有名な敦盛の最後を語ります。高野和憲、力入りすぎ。もっとひょうひょうとやってほしい。茶系をコーディネイトした装束が素敵です。このアイ語りでは、直実はいったん敦盛を助けようとして馬に助け乗せたということになっています。

そして敦盛の霊が出てきて、自分の最後の一日を語ります。陣中での優雅な管絃の遊び、そして、熊谷次郎直実に打たれる勇壮な場面。緩急がついている後場で、人気曲だというのも納得できました。

面は十六(じゅうろく)。



参考は「心にグッとくる日本の古典」 黒澤弘光 NTT出版
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by soymedica | 2012-06-18 20:53 | 能楽 | Comments(0)

藪原検校 by井上ひさし

d0226702_1821117.jpg6月14日(木)@世田谷パブリックシアター 18時30分より
S席8500円

杉の市 野村萬斎、お市 秋山奈津子、盲太夫 浅野和之、
魚売りの七兵衛/塙保己一ほか 小日向文世、お志保ほか 熊谷真実、
仙台座頭ほか 山内圭哉、初代藪原検校ほか たかお鷹
大鷹明良、津田真澄、山崎薫、ギター 千葉伸彦


哀れなはずの盲人が(悪)運と才能に助けられ、悪の道をつっぱしって盲人の最高位の検校かつ江戸でも有数の金持ちに?!という話。ピカレスク小説を読んでいるよう。
琵琶法師に関する話を読んだばかりなので、なるほどなるほど、と思う細部。そして、「目明きは私たちに『頑張れ』と引き上げようとするが、自分たちと同じ位置に立とうとすると蹴落とすのですよ」という塙保己一の言葉に代表される心理描写。 

井上ひさしの小説はあんまり好きではないのですが(ちょっとだれる感じ)、さすが戯曲の書き手として有名だっただけのことはある、と大満足。
そして栗山民也の演出と書くだけで客が呼べる、というのも良く分かりました。

今回、私としては珍しく友人と見に行ったのですが、彼女も私も共通の感想は:野村萬斎は痩せすぎではないだろうか。舞台映えということがありますからね。でも、ベッジ・パードンの時にも思いましたが「異形の者」を演じさせると現代劇で映えます。今回は語りの芸を聞かせるところもあるし。
もう少し薄汚くても良かったかな。

お市も良かった。江戸時代の肉食系女子。初代のお市は大地喜和子だったというのもうなずける役。
そのほか皆芸達者で、満足できましたが、浅野和之はちょっと昼夜の公演でお疲れだったようですね。若干セリフを噛んでいました。

ということで、絶対お勧めの公演です。

…アフターシアターのレストランの選び方を失敗したのだけが残念。
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by soymedica | 2012-06-16 18:06 | その他の舞台 | Comments(2)

国立能楽堂普及公演 千切木 鐘馗

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国立能楽堂普及公演6月
6月9日(土)13時より
正面席 4800円

解説 鐘馗について 伝説と風習
井波律子

狂言(大蔵流)千切木
シテ 山本東次郎、アド(何某)山本則俊、(太郎冠者)若松隆、(太郎の妻)山本泰太郎
立衆 山本則孝、山本則重、山本則秀、山本凛太郎、遠藤博義

能(金春流)鐘馗
シテ 金春安明、ワキ 高安勝久、アイ 山本則重
笛 寺井久八郎、小鼓 幸信吾、大鼓 亀井実、太鼓 徳田宗久
後見 本田光洋、横山紳一


今回は今までで最低のコンディションでした。なぜかと言うに、正面3列8番に座っていたお爺さん、あなたのせいですよ、あ・な・た。耳かけ式(眼鏡のつるの部分か?)の補聴器を使っているのですが、正面最後列近くの私のところにまで聞こえてくるハウリング音。最初は解説者の使っているマイクかと思いましたが。私が隣に座っていたら絶対に文句いうけれど。

いかにも研究者と言った感じの井波律子氏登場。先生と呼ぶのがしっくりくる感じ。どちらを向いて話すか若干迷って目付柱の方を向く。
鐘馗伝説のいわれ
8世紀の唐の玄宗皇帝が瘧(マラリアらしい)になって臥せっていたとき、その夢の中で小鬼が楊貴妃の匂い袋と皇帝の笛を盗むと、大鬼が出てきてそれを取り戻し、小鬼を食べてしまう、その鬼が鐘馗であった。鐘馗は自分は高祖の時代に科挙に失敗して自害したが、皇帝はそれを憐れみ厚く葬ってくれた、それに感謝して守り神となったと語る。(鐘馗は石段に頭を打ち付けて死んだ、と伝えられており、これはその当時の流行りの自殺方法であったらしいです。)
この夢を玄宗はお付きの呉道子に語った。呉道子がそれに基づいて書いた鐘馗の絵がそっくりであったと語り伝えられている。後に宋代になり、木版印刷の発達とともに鐘馗の似姿は広く流布されるようになった。17世紀の明末から清朝になると、鐘馗の絵は大流行となり、端午の節句に飾られるようになる。
端午の節句自体はさらに昔の戦国時代に(紀元前ですよね)起源がある。楚の屈原が抗議の投身自殺をしたのが5月5日であり、それを祭るために川に粽(笹にくるむのは魚に食べられないため)を投げいれ、鎮魂のボートレースをしていた。
ともに非業の死を遂げた人ということで、端午の節句には鐘馗の画像も飾られるようになった。
鐘馗が日本に伝来したのは19世紀ころであるが、京都では今でも古い家の小屋根に小さな鐘馗さまが飾られているのが見られる。

と言うようなお話でした。観世バックナンバーにも詳しく出ています。科挙では容姿も点数になったとかで、鐘馗じゃ合格しない、と書いてありました(笑)。


千切木とは、武器に使うに適当な長さの棒のことだそうで、連歌の会で仲間外れにされた夫の喧嘩に妻が加勢する、という話です。東次郎はみえっぱりで情けない男が上手い。それにしてもこういうしょうも無い奴、いますよねー。
そして主役を引き立てる妻の泰太郎も良かったです。
立衆がずらっと並ぶ演目なのですが、凛太郎クン背が伸びましたね。遠藤博義より大きいのでは。絶対に前回みた時(3月だった)より5センチは伸びた。


さて、鐘馗。江戸初期には金春家の能という位置づけだったらしいですが、今回も金春流。
能自体は帝都に陳情に行く人の前に鐘馗が現れて、「私は鐘馗です」と言って去った後、もう一度出てきて国を力強く守っている様子を見せる、というそれだけのものです。地謡がなかなか良くって、(クセが難しそうな節付けだった)飽きさせません。鐘馗も後半は宝剣を持って大活躍でした。

もっと、集中して見たかったなー。

面は能楽堂の表示には前シテが真角、後シテが小べしみ、とありましたが、どうやら前シテは怪士であったものらしい。


参考は観世2011年4,5,6月号。
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by soymedica | 2012-06-13 22:04 | 能楽 | Comments(0)

銕仙会定期公演6月 頼政、富士松、胡蝶

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銕仙会定期公演6月
6月8日(金)18時より@宝生能楽堂
正面席6000円

能 頼政
シテ 観世清和、ワキ 森常好、アイ 野村扇丞
笛 中谷明、小鼓 曽和正博、大鼓 安福建雄
後見 浅見真州、北波昭雄

狂言 富士松
シテ 野村萬、アド 野村万蔵

能 胡蝶
シテ 鵜澤光、ワキ 村瀬提、ワキツレ 村瀬彗、矢野昌平、アイ 吉住講
笛 一噌庸二、小鼓 亀井俊一、大鼓 佃良太郎、太鼓 梶谷英樹
後見 観世銕之丞、清水寛二


またまた駆け込みセーフの時間の上、かどの柔道着屋(?)のところでほぼ1年ぶりくらいに会う高校時代の同級生とぱったり。

頼政。とても有名ですし、この曲専用の気持ちの悪いお面があったりと、期待していたのですが、局自体の構成は考えていたのより地味なものでした。もっと派手な後場を想像していたので。でも、前場の名所教(?)などは観世清和&森常好が気持ちの良い謡で盛り上げて良かった。

せっかく幽霊になって出てきた頼政に、平等院の場所も訪ねてあげない旅の僧。待ちきれなくなって自ら平等院を案内し、扇の芝に気付かせる。そして、「私は頼政の幽霊」と言って去っていく。

アイの語る物語は前場の要約ではなく、馬に焼印を押す因縁話。平家物語のあらすじだけは読んだのですが、昔の武士って、嫉妬深いし、抜けがけ,夜討ち、寝返り、何でもありだったのですね。やっぱり実際に戦闘をしていない江戸時代の武士とは大違い。

さて、頼政登場。法体に甲冑というこれまた現代人には理解不能な…。(74歳で良い歌を読んで清盛に昇進させてもらったところで病気になり、出家。その翌年に以仁王をかついで挙兵した、と馬場あき子さんの本にありました。)
「あなたは頼政の幽霊ですね」といわれて、「いや、わかりますか、お恥ずかしい」。だってさっきこれみよがしに頼政の幽霊だって言っていたじゃないの。…現代の売れない芸能人のようで哀しい。

さすが観世流家元だけあって、何の文句のつけようもないのですが、いま一つパンチに欠けたような。地謡が大人しかったせいかもしれない。特に前場は非常に抑えた感じでしたから。
最後、笛がいま一つでしたね。


狂言の富士松。これは通向きすぎてよく分からなかった。連歌の頓知や掛け言葉が聞かせどころなのですが、これが私にはわからない。
(主人) 手に持てる かわらけ色のふるあわせ
(太郎冠者) さけごとにある つぎめなりけり
表の意味は古いかわらけに酒を注ぎ注ぎしている、裏の意味はかわらけ色の古着で近所で買ってきた安酒だろう、だそうです。まあ、こんな調子で連歌が続くのですが、最後のおちの連歌がよくわからなくて残念。(見所の大部分の人がそうだったのでは)。
そのうち狂言の台本をどこかで手に入れなくては(売っているのかな)。


さて、胡蝶。村瀬堤と彗、遠目には親子なんだか兄弟なんだかよく分からない(遠目だと、後見の清水寛二が青年に見えたし)。そしておそらく福王流(?)と思われるのだけれど、今回何だか調子が宜しくなかったのか若干びっくりするようなところもありました。単に節付けが私に心地よくないものだったのかも知れませんが。

梅の花のきれいな作り物が正先に出されます。可憐なお嬢さんが現れて、美しい言葉で語ります。面の選択と言い(これは故観世栄夫が銀座の骨董屋で購入したものだと、柴田稔のブログにありました)、小柄なシテの体格と言い、とにかく可憐。残念なことに私は真正面の席だったので、シテの姿はちらちらと梅の陰に見え隠れ。それもまた風情。

女性の能役者と言うと、女性としては太い声のひとが多いように思うのですが、この光は高くて艶のある声。そして上手い。言っても仕方のないことだけれど、もう少しがっちりタイプの女性なら良かったのに。まあ、小柄なのはこの演目には利点かな。

アイの吉住講が「あなた(ワキは三吉野の山奥から出てきた僧)が見たのは蝶の精でしょう」と言うようなことを語る。あまり主張しない感じの語りが曲に合っています。

さて、後シテ登場。頭のてっぺんに蝶の飾り物をつけています。袂を握り込んでまうところが蝶の羽のよう。いつも舞は飽きてしまうのですが、今回面白く見られました。


胡蝶はなかなか取り上げている本がありませんので、今回は半漁文庫の詞章にお世話になりました。頼政は色々な本に取り上げられていますが、「能 よみがえる情念 馬場あき子 檜書店」が良かったです。
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by soymedica | 2012-06-11 20:58 | 能楽 | Comments(0)

第六回日経能楽鑑賞会 文荷 隅田川

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第6回日経能楽鑑賞会
6月7日(木)18時半より@国立能楽堂
正面席

狂言 文荷(ふみにない)
シテ 野村万作、アド(主人)深田博治、(次郎冠者)石田幸雄

能(喜多流)隅田川
シテ 友枝昭世、ワキ 宝生欣哉、ワキツレ 則久英志
笛 一噌仙幸、小鼓 曽和正博、大鼓 柿原崇志
後見 塩津哲生、狩野了一


本日は千駄ヶ谷の体育館でバレーボールの大きな試合があったらしく、これまた大きなお客さんが横断歩道を渡っていました。能楽堂そばのコンビニもそういうお客さんで大繁盛でした。

文荷は、ご主人の恋文(一説には若い男の子への、らしいが今回見ていた限りでは良く分からず)を届けるよう言われた太郎冠者と次郎冠者が、「やれやれ」と、ただのお手紙を担いでみたりと戯れているうちに、中身も覗き見。挙句の果てには破いてしまって、それを扇いでみたり…。最後には主人に見つかって、というお話。
手紙を大仰に担ぐしぐさとか、謡など、見どころがいっぱいの演目ですから、これは万作と幸雄コンビでなくては。
この後に控えている友枝昭世の隅田川の重さを考えると、この演者でこの演目の狂言というのはバランスがとれていますが、お腹いっぱい。


パンフレットを見て今回の隅田川は子方を出さない演出らしいとは思っていたのですが、やはり。観世十郎元雅作であることがはっきりしている曲で、子方を出さない方が良いのでは、と世阿弥が言ったと「申樂談義」あるというのは有名な話です。子方が作り物の中で謡うだけの演出から、作り物を出さないものまで、近年になって色々試みられているらしい。今回は作り物が大小前に出ました。

渡し守の宝生欣哉、わりとサラサラと言う感じで登場。人が集まってから船を出そう、と待っていると、京都の商売から戻ってきた東国商人がやってきて、さらにあとから「女物狂い」がやってくると言うので、船を出すのはそれまで待とうということになります。この東国商人、とても張り切って謡います。

そこに、主役登場。隅田川の水衣はいつも水色のようですが、今回もそう。この水衣、長旅でだいぶ痛んでいる様子。張り切っている商人や渡し守とは対照的に、沈んだ様子の女です。それでも船に乗るときには業平の話なんぞをしてまだ気力があります。

でも、昨年3月15日にここで旅の途中で死んだ人買いの連れていた子供の話を聞くと、だんだん気力が失せて行きます。

この作品の渡し守、この船上での語りが聞かせどころで、ワキ方の重い習いとなっているそうです。でも作品構成をみると、アイがやっても良いような感じに見えます。色々な作品でどこの部分を誰が(シテ、ワキ、アイ、地謡)語るかと言う決め事は、作曲の際にはどのようになされるのでしょうか。そして時代が変わると役が変わることがあるのでしょうか。

さて、「まさか死んだその子が探している我が子のはずはない」と否定したい女ですが、渡し守を問い詰めるにつれて、死んだ子は我が子に間違いないことがわかってきます。ここが凄くかわいそう。
「この土をかえして今一度」のところで、激昂した女は渡し守の肩を二度激しくたたきます。能でこんなに実際に肉体的に接触するのか、と私は驚いたのですが、近くで見ていた方は「宝生欣哉も驚いていたみたい」と書いていらっしゃいました。

渡し守の方に両手を出して詰め寄ると言う型はあるそうですが、ここまで行くとやりすぎ、という声もあろうかと思います。でも、全体の流れの中では(現代の観客には)あまり不自然には見えない演出でした。

そして渡し守に勧められて鐘を鳴らし、念仏していると、塚から子供の幻が現れて…なのですが、今回の演出では子どもは出ません。でも、友枝昭世の演技の力で観客にも「ああ、お母さんは今子供の幻をありありと見ているに違いない」と感じられたのでした。そして「子どもに会わせてあげたかった」と思う渡し守の目にも子供は見えたのではないでしょうか。
あの場の素晴らしさを表現することができないのが残念ですが、私は席に座って「ああ、あのお母さん、子供の幻を見て救われたのなら良いけれど」としみじみ思いました。隣の女性は泣いていらっしゃいまいた。

何年も後に「あの時のあの名演、あの演出」と語り伝えられるような舞台に立ち会ったのでは、と思いました。

尚、2010年12月には友枝昭世の隅田川は子方ありで上演されているようです。
http://zagzag.blog72.fc2.com/blog-date-20101213.html
参考は 「能の鑑賞講座 二」三宅襄 檜書店
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by soymedica | 2012-06-09 22:34 | 能楽 | Comments(0)

能の表現 増田正造

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能の表現 増田正造 中公新書
1971年8月25日初版、1995年4月30日30版

1971年に書かれた本で、未だ国立能楽堂ができていない、その必要性が叫ばれていた時代の本です。
第一章は能の要素(舞台、囃子、型など)についての解説を書いていますが、この分量で(といっても古い新書ですから字が小さく、今の新書よりは字数は多い)で書きこむのはつらそうで、いささか隔靴掻痒です。「新書とは良くできたパンフレットだ」という人がいますが、そう思って読むととっかかりには良いかもしれません。

第二章では色々な作品を取り上げて、能における表現や人生の解釈について解説しています。でも、男の人って不幸になる美女というものについて長々解説を書きたくなるものらしいですね。この本もそうです。作品解説には色々なタイプがありますが、著者は「老い」に関心があるらしい。もちろん井筒などの有名作品や修羅ものについての解説もあります。

第三章は現代社会で能はどのように組織あるいは芸術として生き残っていくべきかに焦点があてられています。素人弟子からの収入をあてにして芸術としての能役者たちの切磋琢磨が無くなってしまうのではないか、明治には能の生き残りに役だった家元制度も昭和になっては無用どころか、能の発展の妨げになるのではないか、と書いています。この辺、書かれた時代の空気が感じられて面白かったです。

今、DVDで何でも見られる時代、インターネットで一寸名前のある人の行動はすぐに検索できる時代、能にかかわる人たちの行動や思考も大きく変わるのではないかな、と読みながら思いました。

面白い本でしたが、結論や論点がどこにあるのか私にはわかりにくい部分が多く、若干新書としては読みにくかった。このような入門書でも時代によって書くスタイルが少しずつ変わってくるのですね。
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by soymedica | 2012-06-07 17:17 | 本・CD・その他 | Comments(0)

伎樂 日本伝来1400年

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国立劇場第34回特別企画公演 伎樂 日本伝来1400年
@国立劇場小劇場 3600円
2012年6月2日

第一部が伎樂法要と「三蔵法師求法の旅」と題した劇、第二部が「伎樂 幻の天平芸能を知る」。
二部に行きました。「あぜくら」をみて面白そうだと発売日の午後に電話したらもう、正面よりは後ろから二番目の席しか無くてびっくり。
天理大学の先生と雅楽部(そういうクラブ活動)の人たちで行われます。

まず最初は天理大学人間学部教授の佐藤浩司先生のお話。伎樂が本格的に復元されたのは1980年の東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要からで(その時から雅楽部はずっとかかわっているそうです)、どうやって復元したかなどのお話がありました。

酔っ払いとか王さま、エッチな田舎者(崑崙)、美人、獅子(獅子舞いの起源らしい)、婆羅門(なぜかオムツを洗っている)などが登場します。迦桜羅(かるらと読み、ガルーダの音訳、この写真がそれです)という天狗のような鳥が飛びあがっている写真はどこかで見たことがあるのでは。
面は顔面と頭部をすっかり覆うもの。法隆寺宝物殿に展示されているものは色が落剥していますが、綺麗に彩色されて違った印象です。

台詞はなく、復元された音楽にのってパントマイムをするのですが、滑稽なしぐさが中心となっています。酔っ払って暴れた獅子が牡丹の花で大人しく無てめでたしめでたし。
1時間はちょっぴり短くて残念でしたが、楽しかった。

天理大学のホームページをみたら、凄く充実したというか楽しそうな大学ですね。

(写真はJR東海の広告から。)
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by soymedica | 2012-06-04 22:35 | その他の舞台 | Comments(0)