<   2011年 07月 ( 13 )   > この月の画像一覧

東日本大震災 義援能

d0226702_0162666.jpg









東日本大震災 義援能 2011年7月28日
@観世能楽堂 18時半より
正面席3000円


仕舞
経正 キリ 岡久広
網之段 観世芳伸
善知鳥 寺井栄

狂言 二千石(じせんせき)
野村万作 石田幸雄

仕舞 
放下僧 武田宗和
雲林院 高橋弘
融 山階彌右衛門

舞囃子葛城 大和舞
関根祥六
大鼓 柿原光博、小鼓 森澤勇司、太鼓 小寺真佐人、笛 反田智子

能 熊野 読次之伝 村雨留 墨次之伝 膝行留
シテ 観世清和、ツレ 藤波重彦 ワキ 宝生欣哉
大鼓 國川純、小鼓 鵜澤洋太郎、笛 森田弘之
後見 上田公威、観世恭芳



仕舞舞囃子もそれぞれに面白かったのですが、寺井栄の謡はちょっと趣味ではないかもしれない…。



狂言二千石。京都見物に行って、はやりの謡を仕入れてきた太郎冠者。それはみだりに謡う謡では無い、成敗してくれようという主人。泣いたり、笑ったり。最後は笑って終わります。
とても面白かったのですが、なんだか本日万作さんはお疲れのご様子。何がどうだったというわけではないのですが、そう感じました。働きすぎでは。



熊野の二人を現代に置き換えると:

男。年齢不詳。スポーツクラブで鍛えている筋肉の付きすぎない引き締まった体形で、若干日焼け。金のアクセサリー有り。どう見ても定時に出かける仕事では無い。金は妙にありそうな暮らし向き(実際にあるかどうかは別)。
女。目のあたりがポワンとした美人。しかも男と不釣り合いな清楚さ。色白で華奢。頭は良いが自己主張が少ない。
で、このカップル男がわがまま。暴力は振るわないけれど、DVではないかと疑うほどわがまま。どうでも良いけれど未入籍。あるいはどちらかが結婚している。

実家の母を見舞いたがる女。離れると寂しいので(ここんところ事業に影が見えて、一人になるのが余計寂しい)、女をつれて無理やりパーティー。女も心やさしいから付き合うが、男に見えないところで母を思って泣いている。それを男は感じて余計鬱々と楽しまず。でも、無理に宴会やったけれど、「もう止めた止めた。熊野ちゃん、そんなに気になるなら実家にちょっと行ってこいよ」。

朝顔は容貌も品も頭も熊野よりはちょっと落ちるけれど、とっても気の良い熊野の親友。「熊野ちゃん、お母さんのこと取っても心配しているけれど、カレシも良い人だしねー。」なんて他の友人に語るタイプ。

そして、熊野は母を見舞った後、宗盛のところに戻ってくるのです。でも、この恋はハッピーエンドにはならない。


やはり観世清和上手。雰囲気があります。そしてさすが家元の舞台、地謡からなにから、安心して見ていられます。当たり前の話ですが…。

家元は膝行がとても上手なので評判とのことですが、私、能の膝行は初めて見たのでよくわかりませんでした(インド人の召使のやるような、立て膝で進むやり方を想像していました。あれは着物では無理ですね)。

最初に見たのが喜多流の湯谷だったので、いろいろ細部の違いが面白かったです。喜多流では確か朝顔は手紙を渡すと早々に居なくなったと思う。そして、熊野の書く短冊は今回のように華やかなものでは無かったと記憶しています(今回は赤の地に金の模様)。

そして数々の小書き。村雨留や読次之伝をわざわざ小書きとすることに異論はありませんが、墨次之伝、前もって観客に断わっておくほどのことか??と思うのですが。



とても満足しました。3000円はお得。満席だったのも納得です。ですから最後にちょっと寄付して帰りました。

しかしですよ、能楽堂ではスーパーのビニール袋、あれ、禁止してはどうですかね。後ろの爺さん、あれを手に持っている上に手をなぜだか小刻みに動かすから、ずーっと音がしていて閉口した。
今時アラーム時計をしている人もいて、どこかで9時に「ピピ、ピピ」といったのにもびっくりしたけれど。



色々な本に書かれている能ですが今回は
脳の中の能舞台 多田富雄 新潮社
[PR]
by soymedica | 2011-07-29 00:26 | 能楽 | Comments(0)

五蘊会 十五周年記念能

d0226702_17531787.jpg

五蘊会 十五周年記念能

7月23日(土) 14時より
@十四世喜多六平太記念能楽堂
正面席後方 8000円

仕舞
邯鄲 狩野了一
花筐 内田成信
船弁慶 金子敬一郎

狂言 蝸牛 
シテ 野村万蔵、アド 野村太一郎、小アド 野村扇丞

仕舞 
難波 塩津哲生
枕慈童 友枝昭世

能 望月
シテ 友枝雄人、ツレ 友枝真也、子方 友枝大風
ワキ 宝生欣哉、アイ 野村万蔵
大鼓 國川純、小鼓 成田達志、笛 一噌隆之、太鼓 助川治
後見 塩津哲生、内田安信、中村邦生


五蘊会とは、どうやら友枝家の人たちに師事しているお弟子さんのお稽古の会らしい。ですから翌日の素人会が本番。本日はプロの日、と言うことらしい。見所は若い人も多く、子供の姿もちらほら。友枝大風君を応援に来たのでしょうか。
帰りがけに「この人絶対どこかで会った人だ」と会釈してから気付いた。馬場あきこさんだった。失敗失敗。

まずは狂言蝸牛から。前に野村万作で見たことがあるのですが、若干の細部の違いをのぞいては同じ。長寿の薬に蝸牛を取ってこいと言われた太郎冠者が山伏を蝸牛と思いこみ…、という話。

「雨も風も吹かぬに、出ざ釜打ち割ろう でんでん むしむし でんでん むしむし(雨も風もないのに出てこないなら、からを打ち割ってしまうぞ 出て来い虫)」という囃し言葉が面白いとおもったら、NHKの「日本語であそぼ」にも取り上げられたことがあるのですね。


能 望月。仇打ちものです。信濃の安田荘司友春の家臣であった小沢刑部友房は、友春が望月秋長に殺されたため今は近江守山(琵琶湖の南岸あたり、京都を出て最初の泊あたりだそうです)の宿の亭主となっている。この小沢刑部友房が友枝雄人。この人、頭の刈り方がやけに今風。詞の言い方がものすごく真面目そうな人ですね。

ここに偶然かつての主人友春の妻と幼い息子の花若が落ちぶれてやってくる。橋掛りで親子向かい合って謡うのですが、子供と大人が二人で謡うってとても難しそうです。粟谷明生さんも「ここで合わないと子方は一気に不安になってしまうので、ここの出だしが肝心」と言っています。子方の大風君は緊張しつつものびのびと謡えたようでした。

宿の主人と互いに昔を懐かしんでいると、なんと都合の良いことにそこに仇敵望月(宝生欣哉)が…。望月は友春殺害の申し開きのために京都に13年も留め置かれたのだけれど、晴れて領地を安堵されて帰る途中。仇打ちを恐れて名前を隠しているのだけれど、バカなお付きの野村万蔵君が守山の宿で「これは信濃の国に隠れもなき大名。望月の秋長どの…。」と言っちゃう。宝生欣哉、当たり前と言えば当たり前ですが、声や節回しが閑そっくり。顔はあんまり似ていないような気がするのですが。

この望月、殺害事件のために13年京都に留め置かれたということは、子方は少なくとも13歳にはなってなくてはならないはずですが、友枝大風クンは、もう少し小さそうですね。

そこで、これは良い仇打ちの機会と、未亡人と息子は盲御前とその手を引く息子のふりをして舞を舞い隙を窺う。子供は「何を謡うか」と、望月に聞かれ、「一萬、箱王が親の敵を討つたる処をうたひ候ふべし」そりゃ、まずいでしょう。でも、「苦しからず」、と言われ、謡います。クライマックスではやる子供が「いざ討たん」と叫び、一瞬緊張する場も。いやいや、「打つ」とは八撥のことです、とごまかして子供がまた芸をしている間に宿の主人の友房も着替えてきて獅子舞を披露。芸能を見て良い気持ちに酔った望月を花若と友房が刺殺す、というお話。宿の主人が獅子の頭を脱ぐところが面白い。後ろを向いて衣のしたで脱ぐと、鉢巻をした仇打ちの姿が…。子方もちゃーんと鉢巻をしてもらうのですよ。

さっきまでいたお供の間狂言がどこかに逃げて居なくなっちゃうのもとってもラッキー。でも、京都に13年も留め置かれた領主かもしれないけれど、領地に行くのにお供一人で行くのですかね。

と言うとこで、筋は何だかご都合主義なのですが、子方がとっても頑張るので楽しく見られる能です。大風クン、よほど練習したのでしょうね。危なげなく見られました。難しい場面の前ではしかめっ面しているのが凄い。
そしてたいして出番はないのですが、友枝真也、この人も注目株かもしれないと思った今日でした。



どうもこの能楽堂は暑かったり寒かったりとサーモスタットの効きが良くない。それとも途中で止めたのか?扇子を使う人が多くなったら空調が入ったのだが、このとき結構な音がする。クラシックの会場だったら誰も使ってくれなくなっちゃうような音。どうにかしたほうが良くありませんかね。


いろいろな本に書かれている演目ですが、
演目別に見る能装束 観世喜正 淡交社
クライマックスの獅子舞の装束について詳しいです。
また、粟谷能の会のホームページ「演能レポート:子方を通しての『望月』」には子方をどうやって教育するかについて書かれています。

写真は箱根芦の湯の熊野権現です。望月は冬の季節の話らしいので。
[PR]
by soymedica | 2011-07-24 17:57 | 能楽 | Comments(0)

世阿弥を語れば

d0226702_002387.jpg
世阿弥を語れば 松岡心平編 岩波書店

松岡心平がいろいろな人と能、世阿弥を語り合った本です。既に絶版ですが、比較的古書としては手に入りやすいかと思います。
能や世阿弥の著書に関しては、いろいろな人が色々な見方をしているのだな、と。それぞれの方に一言語っていただきましょう:

大岡信:世阿弥と言う人は、文化ということで言えば、鄙の文化と都の文化と二つを持たざるを得なくて持っちゃった。

横道萬里雄:観客の心をつかむことによって芸能というものは存在意義があるんだということを正面に打ち出して……(中略)……それともう一つ、言っていることが大変具体的です。

松岡正剛:僕はやっぱり薄皮とか肉とか骨とか魂とか心とかという、積層空間的に物をとらえる能力を世阿弥にすごく感じますね。

多木浩二:あえて能に即していうと、芸能から芸術に移行するところが、彼の伝書を読んでいると、私には見えるような気がします。

水原紫苑:禅竹の方は詩ですよね。世阿弥は和歌かもしれませんけれど。

多田富雄:世阿弥の中にも「見る自己」と「見られる自己」があって、世阿弥はそれをはっきりと意識してバランスを取っていた。(中略)ただ、そういうふうに本当に自分を客体化できるような人は、尊敬はされるかもしれないですが、好かれませんね(笑)。

渡邉守章:「ドラマ」という言葉を、その言葉が書き込まれていたはずのヨーロッパ語で使うときは注意しないとだめですね。また、軽々しく「シンボル」とか「シンボリック」とか「象徴的」と言う言葉を使うのも危険です。

渡辺保:六平太が偉いのは、疑問を持っていたというところですね。能の一般の関係者は、その疑問すら持っていない。そこが私は問題だと思う。観客も、何で能の物語がこうなるのか考えてほしい。

観世栄夫:銕仙会の若い人にしても、型通りとか、正確にやるというのに少しこだわりすぎていると思うんだ。それは大切なことなんだけれど、そこが終点では無いんで、そこが出発点なんでね。

丸谷才一:後鳥羽院に限らず、一体に僕が褒めると人気が上がるんだけどなあ(笑)。だけど正徹はだめだなあ(笑)。

土屋恵一郎:世阿弥だったらそれは心象だったかもしれないが、禅竹の世界は実は心象風景ではないんですよね。



夏の夜にさらさらと読める本です。
[PR]
by soymedica | 2011-07-22 00:04 | 本・CD・その他 | Comments(0)

能楽Basara 第9回公演

d0226702_20205369.jpg

能樂Basara 第9回公演 妄執の霊たち
7月16日14時より @国立能楽堂
中正面 6000円


解説 定家と式子内親王 林望

舞囃子 船弁慶 観世喜之

狂言 萩大名
野村万作 月崎晴夫、高野和憲



定家

シテ 駒瀬直也、ワキ 森常好、ワキツレ 館田善博、森常太郎
アイ 石田幸雄
大鼓 佃良勝、小鼓 鵜澤洋太郎、笛 松田弘之
後見 遠藤喜久、奥川恒治


本当に暑い日。よそから回ったので早めに着いてしまった。前から気になっていた能楽堂前のビルの地下の中華料理屋へ。冷やし坦坦麺650円と安いが、まあ、そんな感じの店。

林望、うすい色の袴で登場。定家と式子内親王の恋というのは年齢差を考えるとあり得ないけれど…と言う話。途中で寝ちゃった。ごめんなさい。

それはそうと、今年は法然の何回忌かなので雑誌「太陽」の特集が出ましたが、そこにちょこっと式子内親王が法然に師事していたらしいことが書いてあった。

舞囃子船弁慶。観世喜之、仕舞は美しかったけれど、この人声が細いですね。面をかけたら聞き取りにくいのではないか?


狂言萩大名。頭の弱い大名が歌を覚えなくてはいけないのですが、これがどうも…、と言うお話。何となく終わり方が弱かった感じがしましたが、そこまでは可笑しい。万作ってやはり上手ですね。


定家。解説書を読む限りでは動きの少ない、とても退屈そうなものでしたが、あにはからんや、とても堪能しました。エロチックなイメージがある能だそうですが(内親王に定家蔓がまといつくという)、それよりはもっと寒い感じ。だって、まとわりつく蔓をよりわけて内親王の霊が出てきて、「あなたの御経のおかげで出てこられました」と言いながら、また「それでも…」と、また墓に入ってそこに蔓がまといつくのですよ。怖くありませんか?夏にはふさわしいけれど。

駒瀬直也と言う人は、なかなか注目すべき人なのでは、と思います。特に謡がよく通る艶のある感じでした。来年も予定が合ったらこの会に行こうと思います。ただし会の名称は私の好みではありませんが。何でバサラなんだ??
チケットのお値段もリーズナブルですし、7割くらいしかお客さんが入っていないのはどうしてでしょう。やはりスポンサーがつくタイプのひとでないと、国立能楽堂は大箱すぎるのでしょうか。

ちなみに来年は6月23日で道成寺だそうです。



この能については
これならわかる、能の面白さ 林望 淡交社
幻視の座・宝生閑聞き書き 土屋恵一郎 岩波書店
能 中世からの響き 松岡心平 角川叢書 (新演出で浅見真州が行ったものについての感想)
[PR]
by soymedica | 2011-07-19 20:25 | 能楽 | Comments(0)

TV 木六駄 鉄輪

古典芸能への招待 能・狂言 狂言「木六駄」~和泉流~・能「鉄輪」~喜多流~

狂言「木六駄」は、人間国宝の兄弟、野村万作・野村萬が共演する。雪道を12頭の牛を苦労して運ぶ太郎冠者。あまりの寒さに、預かった酒を飲んでしまうのだった。▽能「鉄輪」は、喜多流の実力者・香川靖嗣が主演。夫から不当に離別された妻は、恨みを晴らすために貴船神社に詣でる。やがて、妻は鬼となって、夫と新妻に復しゅうを遂げようとするが、安倍晴明の術に妨げられ…。


あ、NHKのホームページからそのまんまの引用です。まさか著作権侵害!!て誰も飛んでこないと思うけれど。ちなみにワキは森常好。

この野村兄弟は本当に上手い。二人とも実際には酒を飲んでいないなんて信じられない。萬の一般マスコミ露出は弟より少ないから、「え、万作にお兄さんがいるの?」という人がときどきいます。人間国宝ですよ、アナタ。
…「へえ、萬歳のお父さんも狂言師なんだ。」と言われたときには腰を抜かした。(違いのわからん奴。)

実際にこの木六駄、劇場で観てみたいものですが、実は狂言はTVでも結構楽しめたのです。

でも、能はTVは苦しい。
オーケストラをホールで聞くのとTVで見るのと、くらいの違いを感じます。
これはなぜだろうと考えたのですが、能楽堂では、シテに注意が行ったり、囃子を見ていたり、地謡に耳が、とか自由に視線や注意を向けられるのですが、TVではそこをTV側に決められてしまうからでしょうか。

オペラをTVで見たことは無いのですが、同じように感じるのでしょうか。

ということで、「鉄輪」、ぜひ能楽堂で見てみようとおもったのでした。

(ところで本日のこれ、中継では無くて番組用の録画じゃないかと思ったのですが、どうでしょう。)
[PR]
by soymedica | 2011-07-17 18:00 | 本・CD・その他 | Comments(2)

国立能楽堂7月定例公演

d0226702_9363861.jpg

国立能楽堂7月定例公演 
7月13日6時30分より
正面席 4800円

狂言(大蔵流)呼声
シテ 茂山千三郎、アド(主) 茂山千五郎、アド(次郎冠者)茂山逸平

能 蝉丸 替之型
シテ 角寛次朗、ツレ 木月孚行
ワキ 森常好、ワキツレ 館田善博、ワキツレ 森常太郎
アイ 茂山七五三
笛 一噌康二、大鼓 亀井忠雄、小鼓 幸清次郎、
後見 観世恭秀、武田尚浩


呼声は、居留守を使う太郎冠者を何とかして呼び出そうと声色をつかったり、歌にして呼びかけたり、というもの。現代で言うなら、シャンソン風、ボサノバ風、ロック風という感じで呼びかけます。声や歌を聴かせるところが主眼なのだと思いますが、皆すばらしいお声で良い歌でした。

肩衣の模様がそれぞれ面白かったが、何の意匠か知りたかったです。そういう説明も字幕にちょこっと入っていると嬉しいのですが。ちなみにソラマメのようなものが三つほど書いてあるものと、お茶で使う蓋置き(三本脚の五徳みたいなあれ)のような柄でした。

蝉丸は以前観世の定期能で見たときは初めてということもあり、花粉の季節ということもあり、ひたすら眠かったのですが、本日は面白かった。
特に逆髪は登場するところから目を奪われました。

盲目の皇子蝉丸が山中に捨てられる。しくしく泣きながら寂しく琵琶を弾いていると、狂乱の皇女逆髪が偶然やってくる。「あら、弟の琵琶の音だわ」。そして兄弟再会となり、「あんたも寂しいだろうけれど、しっかりするのよ」と、逆髪は去っていく。話としてはそれだけなのですが、色々な土俗信仰―坂には社会経済的に辺境の民が住むとか、そのような階層の民や身体障害のある民は神に近いと思われていたとか―が背後にある古い話のようです。

写真で見る逆髪は本当に髪ぼうぼう、寝起きの私みたいな姿のものが多いのですが、今回は一筋乱れた髪があるだけでした。笹をもって気強く謡う様子は印象に残るものでした。蝉丸は本当に弱々しそう。一瞬絶句しましたが(私はただの間かと思ったのですが、プロンプトされていたので、そうではなかったのでしょう)、それも気にならず。この逆髪と蝉丸は良い組み合わせではないでしょうか。


髪の毛と言えば、私の前に座った女性。巻き髪を盛り上げたスタイルに綺麗な櫛がささっている。ひところ渋谷系ではやったスタイル。邪魔だなー、と思っていたのですが、立った姿をみてびっくり。少なくとも60歳は越えている方で、着ているのはTシャツと地味なパンツ。…だったらもっと地味で小さな髪にしてきてほしい。それともあれは演目に合わせた逆髪ファッションだったのか??


参考は、能 中世からの響き 松岡心平 角川叢書
この本お勧めです。
[PR]
by soymedica | 2011-07-15 09:40 | 能楽 | Comments(0)

観世会能楽講座 第2回 葵上

d0226702_21531642.jpg
平成23年度観世会能楽講座 第2回 葵上
2011年7月11日 @観世能楽堂
1500円

若干遅刻して到着。林望が講義の真っ最中。この人どこかの女子大の先生だと思っていたら、文筆業に専念しているのですね。あ、でもプロフィールの年齢からすると、定年??

林望は葵上の心理を説明:年上女が執着するのは醜いと思いつつ、やはり源氏のパレードが見たくてこっそり目立たない車でやってきたら、後から来た(きわめて陽気で豪勢な)葵上の一向にどかされ、しかも人目を忍んできたわが身をさらされてしまった。奥に押し込められて帰ろうにも帰れない。でも、源氏が見えるかと思えば、目の前には葵上の車。そしてパレードの源氏は葵上に目をやって通り過ぎてしまった...。
さすが現代語訳を出しただけあって、なるほどと思わせる語り口。

「能で、最後に葵上が成仏しちゃうのは変ですよね。生霊なのに(笑)。」ですからこの部分はあとから付け足したのでは?と。(何か言いたい研究者がいっぱいいそうな部分なのに、こういうとことさらっと言っちゃってよいのだろうか。)

次はお待ちかね松岡心平のお話。こういう自分の研究対象を愛している人の話って良いですよね。

「申楽談義」のコピーを示しながら:
世阿弥は犬王の演出に非常に関心があり、このようにそれを書き留めてある。車の作り物を出し、青女房(御息所のおつきの女房)を出すのが犬王の演出で、私どもの「橋の会」でこの形で復曲しました。能の「あらあさましや、後妻討ちの御振舞い いかでさることの候ふべき ただ思し召し止まり給え」のセリフ(ふつうは照日の巫女が言う)は青女房のもの。さらに、御息所が頭のほうを打ちすえるのなら私は足のほうを打つわ、と「この上はとて立ち寄りて わらはは後にて苦をみする」(これも普通は巫女のセリフ)と語っているとしなければつじつまが合わないでしょう。
なるほど。

また、後妻(ウワナリ)打ちの風習にふれて、「葵上」のこの部分は古くからあった後妻打ちの風習が意識されているつくりなのではないか、とも。

そして、なぜ青女房が出演しなくなったかについては、女性の鬼が出るものは近江申楽の系統であって、世阿弥の系統ではなかった。このためしばらく上演が途絶えていて、のちに観世が復活させたときに一人シテになったのではないだろうか。テキストはそのままに、犬王時代の演出が忘れられたのではないだろうか、と推測していました。

いろいろな研究者が言っていることですが、能には源氏物語の直接引用は無く、世阿弥や犬王は原典にあたることは無かったのではないだろうか、おそらく善竹は読んでいたのあろうが、と。そしてこれが原作から離れて自由に巫女や山伏などを出して土俗的に作れた理由だろうとのことです。


ついで、横山太郎の司会で、実際に青女房と破れ車を出した形を家元や上田公威が見せます。家元、色々説明しつつヒートアップ。熱い人ですが、周囲はハラハラするでしょうね、お客さんは大喜びです。そして、舞台の上で摺り足ではなくドタドタあるく観世清和なんて、ここでしか見られないでしょう。

ワキの森常好も登場。山伏の持つ数珠は自分でひもを確認するのだそうです。そして数珠の房は、葵上、安達が原、道成寺それぞれ色が違っているとも説明がありました。へぇぇー。昨日山伏姿の弁慶が持っていたのは何色だった?地味な色だったけれど。

前記の「橋の会 新演出」には林望は異論があるようで、「巫女をよりましにしてそこに下りてきた生霊を山伏が退治すると考えれば、わざわざ青女房を出さなくても良いのでは」、と語っていました。当然そのへんのところは松岡たちも考えているでしょうが、特に反論無し。この二人を見ていると、作家と研究者の違いが面白い。それとも性格の違いか。


さてさて、葵上ではシテは舞台上で面を代えるのですが、これは鐘のなかで面と装束を代える「道成寺」の良い予行なのだそうです。秋にはお家元は道成寺ですからね。是非見たいものです。

ということで、終わったのは9時15分でした。学会だったら座長真っ青だけれど…。
実際にペーパーにするときにはもっと控えめにしたり、思っていても書けなかったりすることがあるでしょうが、こういう素人向けの講座ではどんどん言っちゃえ、と松岡心平を応援したのでした。

ということで満足しました。
[PR]
by soymedica | 2011-07-13 22:01 | 本・CD・その他 | Comments(0)

白翔会公演 平家物語の世界

d0226702_21464329.jpg

白翔会公演 平家物語の世界
平成23年7月10日 @国立能楽堂
正面最前列真中 10000円


連吟:俊寛、藤戸

能 清経 恋之音取
シテ 坂井音雅、ツレ 坂井音晴、ワキ 森常好
大鼓 柿原崇志、小鼓 幸清次郎、笛 藤田次郎
後見 谷村一太郎、津田和忠、寺井栄

狂言 六地蔵
山本東次郎、山本則俊、山本則孝、遠藤博義

仕舞 鵺
坂井音隆

独吟 起請文
関根祥六

船弁慶 重キ前後之替、名所教、船中之語 附祝言
シテ 坂井音重、ワキ 宝生閑、子方 藤波重光、アイ 山本東次郎
大鼓 亀井忠雄、小鼓 観世新九郎、太鼓 助川治、笛 一噌康二
後見 観世恭秀、坂井音隆、藤波重彦


友人のお父様の先生のおうちの会。素敵なお父様に丁寧にごあいさついただく。
坂井音重は華やかなことのお好きな方、とのことで、豪華なパンフレットもさることながら、お弟子さんと思しき人たちもゴージャス。堂々たるロシア人軍団もきていた。(ロシア講演をやったので大使館関係者だろうとのこと。)

清経。戦闘で生き残ったにもかかわらず、待つ妻を残して自害してしまった清経。その遺髪を持って粟津三郎が人目を忍んでやってくる。(昼メロだったらここで残された妻と粟津三郎の恋愛が始まるのだが、)あくまで夫を思う妻は遺髪を見ると悲しくなるので、と遺髪を神社に帰してしまう。そこに夫の幽霊が現れ、お互いに「何で私を残して自害するの」「せっかくの遺髪をなぜ手元に置かない」と、言い合うという悲しいお話。恋之音取という小書で、笛方が地謡の前まで出て橋掛かりのほうに向かって笛を吹くと、それに合わせて清経の霊が出てくる。

囃子方も地謡も長袴。皆ああいうものお持ちなのね(当り前か)。でも、こういうおはなしなのだから、あまりしゃっちょこばったのも。全体に真面目すぎる感じが気になる。


六地蔵。地蔵を六体買おうとしている田舎者をだまそうとする詐欺師。3人で6体の地蔵のふりをしようと大わらわ。友人が「皆年寄りなのに頑張るなー」と感心。確かに。


最後は小書のたーくさんついた船弁慶。子方ちゃんに「静はこっから帰れ」と言われて悲しむ 静。実はこの静の衣装の後ろが途中で若干裂けてしまって、それが気になってしょうがなかった。シテは真面目そうな仕舞と謡。華やかなことがお好き、とのことでしたが、実は真面目一方なのでは、と思わせる舞台。

アイの船頭が相当活躍する話なのですが、山本東次郎、すごく良かったです。動きが綺麗ですね、この方。そして、ワキの宝生閑扮する弁慶。この人、他の全員を喰っちゃってました。まずいんじゃないか…。でも最後に知盛の幽霊に襲われそうになる義経を守ろうとするときは、孫を守ろうとするおじいちゃんのようであった。これもまずいのでは(笑)。

小書がこれだけついて長くなったせいか、若干焦点の絞りきれない話の感じ。もともと船弁慶の話の作りがそうなのかもしれません。子方ちゃんがあくびを噛み殺していたのがかわいかった。

さて坂井家の三人の息子のなかで誰が一番上手なのかはわかりませんが、音隆が一番華があるかな。皆ハンサムさんなのですが、どーも(ただの印象ですが)真面目すぎるような感じがしますね。

ということで、豪華絢爛な一日でありました。


世阿弥の能 堂本正樹 新潮選書
能の平家物語 秦恒平 朝日ソノラマ
[PR]
by soymedica | 2011-07-12 21:56 | Comments(0)

山階別会 2011年7月9日

d0226702_22454584.jpg
山階別会 2011年7月9日
@観世能楽堂 
中正面脇より 7000円


連吟 雨月

袴能 俊寛
シテ 山階弥次、成経 坂井音隆、浅見重好
ワキ 宝生閑 アイ 三宅近成
大鼓 亀井弘忠、 小鼓 大倉源次郎、笛 藤田次郎
後見 津田和忠、観世恭秀

狂言 仁王 
シテ 三宅右矩、アド 高澤祐介
立衆 前田晃一、吉川秀樹、河路雅義、三宅右近、三宅近成

一調 百萬

能 井筒
シテ 山階彌右衛門
ワキ 福王和幸
大鼓 柿原弘和、小鼓 観世新九郎、笛 一噌隆之
後見 野村四郎、観世恭秀、観世芳伸


袴能 俊寛
どこかで「俊寛が赦免されなかったのはすでにその時点で俊寛は亡くなっていたからだ」と読んだ気がするのですが、どの本だか思い出せない…。

袴能というものは初めて見ましたが、動きがはっきり分かってなかなか面白いものですね。しかも、これは直面でやることもあるというものですし、現在ものですし、袴でやることに何の不都合もなさそう。
山階弥次の謡はとても良かったですが、80歳を超えているということで、立ち上がる時に後半手をついていました。
そして今回浅見重好が良かった。


狂言 仁王。ばくちで借金を作った男が仁王像にばけて、お賽銭をだまし取ろう、と言う話。いろんな人がいろんな願掛けにやってきます。中には上が150、下が90の血圧を治してくれ、なんてずうずうしい出演者も。で、結局バレておしまい。楽しいですし、このおうちの人たちは皆自然体なので、ゆったり見られます。

能 井筒。これは正面席で見る能だな、と思いました。ゆっくりした舞を見せる人数の少ないものはやや後ろ目の正面席にしよう(どうして、と理詰めで説明できないのですが)。
前回みた武田志房のほうが味わい深い動きだったような気がするのですが、どこがどう違うのか説明できないので、見るこちらの体調もあるのかもしれません。山階彌右衛門のやや高めのきれいな声がこの能にあっている感じ。

ワキは俊寛が宝生閑、井筒が福王和幸でしたが、逆のほうが良いような気が。


ほぼ満席でした。
最初に山階彌右衛門が挨拶したとき、「照明を落としてみました」と言っていましたが、いつも私としては明るすぎると思っていたので、見やすかったです。
はじめて聞く連吟もなかなか良いものでした。
前の席に高砂のようなご夫婦が。夫婦とも謡をやっているようですが、奥さまの方が上級?謡本を「あなた、ここよ」と言う風に指示しています。そのうち二人でぼそぼそしゃべり始めたのですが、前の席のおばさんが振り返ってにっこり笑って唇に指をあてるしぐさ。感じの良い注意の仕方だな、と感心。
とても仲の良いご夫婦で、こちらの観察も面白かった。
[PR]
by soymedica | 2011-07-11 22:49 | 能楽 | Comments(0)

能楽師 伝承

d0226702_2338476.jpg長編ドキュメンタリー映画 能楽師 伝承
@渋谷 シアターイメージフォーラム
1500円

関根祥六、関根祥人、関根祥丸の3代の活動記録ということです。2003年に前編ともいえる「能楽師」があったらしい。

3代で石橋を練習する風景とか、俳優の佐野史郎、民俗学者の田中英機と祥人が対談するところとかありますが、大部分は祥人の「松風」のリハーサルと本番、そして一部道成寺、そして一部私には演目のわからない薪能、一部祥丸が初めて祥六に面のかけ方を教えてもらう部分、そして一部なぜか関係の無い俳優が熊野と三井寺に行くところが挿入されています。
祥人が2010年に急死してしまったので、困ったのでしょうが、もう少し編集の仕方が無かったものか…。「伝承」の意味も伝わってこない。

そして、道成寺の舞台の場面(大部分が宝生閑の謡)で、カメラが微妙に揺れるのをはじめとして、舞台の撮影方法がいまひとつ。いっそのこと能楽堂でやっているみたいに固定カメラで全体をずーっと撮影したら、と思ってしまった。

今の世の中NHKなどでは豊富な予算と知識も技術もある豊富な人材をつかって、魅力的な番組を作っている。わざわざ劇場映画を撮影するのだったらそれなりの方向性があってしかるべきだし、英語字幕をつけるくらい外国を意識しているのだったらもう少し一般的な作りにするべきだし…。

ということで、なんだかフラストレーションのたまる映画でした。

館内は能楽ファンの叔母様たちがほとんどでした。きっと男性愛好家ってこういう映画は見ないタイプの人が多いのでしょうね。でも、映画見るのに何で連れ立ってくるのでしょう?

関根祥人急逝直後の上映に関してはクリコさんのブログに詳しいです。
http://kuriko.jugem.cc/?eid=1079
[PR]
by soymedica | 2011-07-09 23:41 | 本・CD・その他 | Comments(0)