国立能楽堂三月普及公演 空腕 田村

d0226702_1350256.jpg国立能楽堂三月普及公演
2016年3月12日(土)13時より

解説 春の「勝修羅」―「田村」と清水寺縁起
田中貴子

狂言 大蔵流 空腕
シテ(太郎冠者)大蔵彌太郎、アド(主)大蔵基誠

能 喜多流 田村
シテ 大村定、ワキ 高井松男、ワキツレ 梅村昌功、野口能弘、アイ 善竹大二郎
笛 松田弘之、小鼓 曽和鼓堂、大鼓 亀井実
後見 内田安信、谷大作
後見 香川靖嗣


お待ち申し上げていました、解説は田中貴子先生。本日は白のキュロットです。
お話の内容をうろ覚えですが書いておくと:

演じられる田村は、箙、屋島と並んで勝修羅と言われますが、田村だけは平安時代の初めの人物でほかの二人よりぐんと古い人物であることや、戦いの不条理を嘆く詞章がないことなどにより、これは祝言能に近いもの。

まず、前場ではシテの童子が桜の木の下をはいているというところからしてただものではない。この桜は地主神社という清水寺の前身の神社、いわゆる土地神の神体とされているものなのです。

今昔物語に出てくる清水寺縁起によると清水寺は坂上田村麻呂が檀那となって建てたもので、妻の産後の肥立ちが悪く、田村麿が妻に食べされるために鹿を狩る。その殺生を悔いて自宅を寄進して清水寺にしたものであるが、これは能の祝言性から省かれている。そしてまた、田村麿は東夷の大量虐殺で有名なのだけれど、それではあまりだというので、鬼退治をしたということに変更されている。

田村麿は日本皇紀によると、都守護のために甲冑を着て弓杖を携えて埋葬され、都に危機が迫るとその墓が鳴動したと伝えられている。また、平家物語では将軍塚に土人形を埋めて都を守ろうとしたが、それが福原遷都などの時には鳴動した、という話も伝えられており、のちにはこの二つの話が合体して語り伝えられるようになった。

などなどの解説がためになりました。


空腕。ここのところこの曲が出る頻度が多いような気がする。そして、大蔵彌太郎(襲名したのですね)の発声が大蔵家そのものだな、と認識する。
太郎冠者、熱演だったので、そんなに弱くて空威張りの奴には見えませんでしたが。
装束の肩衣の背には蜘蛛の巣と蟹。遠い親戚ではあるけれど、なんだか面白い。


田村は人気曲だそうですが、観るのは初めてじゃないかな。ワキの高井は明らかに右脚が悪く、そのために出だしで雰囲気を作れず損をしている。謡の調子は曲想に合っているのだけれど。
暖かな春の日、花の盛りの清水寺にやってきた東国の僧。旅の若いお仲間と見物していると、どこからともなく童子がやってくる。オレンジの着物。丸い花模様が飛んでいる(私の七五三の着物、ピンクの地に絽刺しの丸い模様が飛んでいたなー、と思い出した)。その上にグレーがかった水衣を着ている。

シテの大村定さん、喜多流のベテラン。肩に力の入らない美しい謡です。しかし、清水寺のいわれのセリフが長―い。そのあとに名所教えが入る。観るのが初めての曲だと、この辺で(観るほうが)疲れてきます。演ずるほうは疲れないのかな。
そして童子は坂の上の田村堂に入っていくのでした。この中入り、もったいぶらずにスーッと、消えていきました。

前場の詞章がとてもきれいで地謡とも合っていましたね。喜多流は宝生よりも人数少ないと思うのですが、出来にムラがない。

後場は田村麿自身に戻っていますから、童子の女の子のようないでたちとは違って勇ましい。亀甲文様の厚板に金と黒を基調とした袴、法被も金と鶯色。華やかで勇ましい。勇ましく、メリハリのある動きです。

前場と後場の対象が面白く、人気曲だということがよくわかりましたし、シテもよかった。でも、この人の持ち味はもう少し小さな(喜多能楽堂くらい)の能楽堂でより良く発揮されるタイプではないのか。国立ってなかなか難しい舞台だと思います。

面は前シテが童子、後シテは平田。
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by soymedica | 2016-03-17 13:52 | 能楽 | Comments(0)
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