国立能楽堂十月 企画公演 抜殻 松山鏡

d0226702_1426393.jpg国立能楽堂十月企画公演
古典の日記念〈鏡に映るものは〉

2015年10月31日(土)13時より

一調 野守
謡 藤波重孝、太鼓 観世元伯

舞囃子 宝生流 井筒
シテ 大坪喜美雄
笛 竹市学、小鼓 荒木建作、大鼓 白坂信行

狂言 大蔵流 抜殻
シテ(太郎冠者) 茂山千三郎、アド(主) 茂山千五郎

能 観世流 松山鏡
シテ(具生神)武田志房、ツレ(母の亡霊)大槻文蔵、子方(姫)武田章志、ワキ(松山某)福王茂十郎
笛 竹市学、小鼓 荒木建作、大鼓 白坂信行、太鼓 観世元伯
地謡 岡久広ほか


国立能楽堂の催しには珍しく、一調と舞囃が。井筒の舞囃は退屈だった。

抜殻。お使いに行く前にいつもは一杯飲ませてもらえる太郎冠者。今回は主がそれを忘れているようで、さりげなく催促。これは布施無経みたい。で、主人がやっとそれを思い出して「おお悪かった」と何杯も大盃でのませてくれる。主は下戸。ここは素襖落とそっくり。で、酔っぱらって出かけた太郎冠者。お使いに行かずに道の真ん中で寝てしまう。心配して様子を見に来た主人、怒って太郎冠者に鬼の面をかけておく。目が覚め、のどが渇いて清水に行って自分の顔を見た太郎冠者、「鬼になってしまった」と。驚いてうちに帰って、「こんな姿になったけれど、私です。子守でも、なんでもしますから」。脅かして金儲けしようと考えない真面目さ。皆さん、小心者は飲み過ぎないように注意ですぞ!


さて、松山鏡。稀曲だそうで、国立能楽堂初上演だとか。
まず、鏡(台)の作り物が出されます。高さ160センチほどの台に野守の鏡のような鏡がかけられています。きっと流用だな。そして袈裟をかけた姫(子方)が地謡前に、出しおき。
名乗り笛で松山某登場。長裃です。福王、真面目そうで、上手。この人のファンです。三年前に妻に先立たれ、忘れ形見の子が女の子なので別棟に住まわせている。今日は妻の命日だ、と後見座に行って袈裟をかける。この間、子方が母を慕って長い科白を言うのですけれど、これが上手で立派。武田友志の息子さん、2005年生まれだとか。今10歳。

この姫が朝晩なにやら唱えているのは継母を呪詛しているのだと言う人がいるらしい。松山某も後添えを貰う気はあまり無かったけれども、親戚が勧めるので、再婚したと述懐しつつ、持仏堂にいる娘をたずねて何をしているのかと単刀直入に聞きます。

と、姫は「母の形見にもらった鏡、寂しくなったら見なさいと言われたけれど、ほら、母が鏡の中に」。王昭君の話みたいですね。
え、と驚く父が鏡に寄って見ますが見えるのはやっぱり自分の姿。「あまりに山奥に住んでいるので姫は鏡が何たるかを知らないため、写っている姿を母の若いころの姿と思っているのだ」と不憫に思います。
この長い科白や謡をはっきりとしかも感情をこめて聞かせるのは福王茂十郎ならでは。

ここで涙する父。と、母の霊が登場。面は痩せ女、衣装が何となくクリムトの接吻を思わせる柄。
母は正中で蔓桶にかけて唐の陳さんの話をします(というか正確には地謡が謡います)。これは解説によると中国の故事によるものだけれども原典とは逆になったりとか話の混乱があるらしい。
ともかく、再開を誓って別れた夫婦が鏡のそれぞれの半分を持っている。夫は異国で再婚してしまう。それを聞いて涙に掻き暮れる妻の陳のもとにカササギがやってきて、え?、と思っていると鏡の残り半分となりまた鏡は元の通り丸くなった。陳夫人は賢女である、ということ。

唐突に地獄から俱生神がやってきて「帰りが遅い」と母を引き戻そうとしますが、姫の供養によって母は菩薩に、俱生神はそのまま地獄へと帰ってゆく。

と、なんだかワキにも子方にもシテにも義理立てしたような作品ですが、面白かった。この筋の破たんが稀曲となっている理由だろうか。でも、面白かった。
地謡が素敵でした。
大鼓の掛け声が何となく好きになれなかったんですが、あまりなじみのない人のためでしょうか。

中に出てくる、
三吉野の岸の山吹風吹けばそこなる影も散れば散れり

吉野川岸の山吹ふく風に底のかげさへうつろひにけり(紀貫之)
からだと思うのですが、

靡けば靡く款冬の影を誤まつはかなさよ
の原典は何でしょうか。
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by soymedica | 2015-11-03 14:28 | 能楽 | Comments(0)
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