道成寺特別講座

d0226702_1712069.jpg道成寺特別講座
2015年7月31日(金)19時より@国立能楽堂大講義室
金春流 中村昌弘、喜多流 大島輝久、宝生流 高橋憲正、観世流 武田宗典

道成寺の披きを控えた中村昌弘企画・司会による各流儀による道成寺のお話。皆さん30代後半くらい。
もともと比較的仲の良い4人らしく、和気藹々と話が進み、面白かった。

≪道成寺を披くまでの曲、ステップとなる曲≫
喜多大島:猩々乱→道成寺→石橋
宝生高橋:石橋→道成寺(この前に黒塚をやること多し)→猩々乱
観世武田:(翁の千歳)→石橋→(葵上または安達原)→道成寺
金春中村:石橋→猩々乱→(邯鄲)→道成寺

黒塚を前もってやることがあるのは、いのりの型が入っているからとのことです。


≪公演が決定する時期≫
喜多大島:約2年前
宝生高橋:先輩の順番を見ていると大体わかる
観世武田:2年前
金春中村:先輩の順番を見て

そろそろ、と思うと師匠の還暦が入ったり、流儀の重要な催しが入ったりと、色々大変らしい。


≪三役、地謡、後見の編成は誰が決めるか≫
喜多大島:鼓は幸流と決まっている。あとは「道成寺を披く」と言ったら友人の亀井広忠がずんずん決めちゃった(会場爆笑)。
宝生高橋:構成は家元が決める。なお、宝生の道成寺は地が6人。
観世武田:自分の主催会であったので自分で決めた。観世の場合家元は鐘後見は殆どやらない。
金春中村:金春の場合はシテに任せられることが多い。囃子はやはり先生にお願いする。鐘後見は本田光洋が多い。

金春の場合、本田光洋が道成寺のエキスパートであるらしく、もっとも経験値が高く、尊敬されているらしい。
尚、狂言方の技術は山本家が抜群に高いとのこと。


≪稽古の開始時期≫
喜多大島:普通の曲はシテが決まった数か月前からだが、道成寺は2年ほど前に一度稽古したことがある。
宝生高橋:半年前から。囃子方とは3か月前から。
観世武田:決まった直後にやってみたが、先生とやったのは3,4か月前。謡だけ20歳の時に練習したことがある。
金春中村:…実はまだ練習していないんですよ(泣)


≪道成寺参詣はするか≫
喜多大島:公演2,3か月前に行ったら偶然金剛宗家の親子に会った(ちょうど披きのころだったらしい)。すごく仲の良さそうな親子でした、と。で、寺にたどり着いたら能舞台がしつらえてある。(ここで武田が「え、じゃあそのころニアミスですね。観世が『道成寺で道成寺』という催しをやったんですよ」と。)社務所に行ったら「今日ちょっと忙しくってね、あ、そこのツアーの皆さんと一緒に回ってください」(会場爆笑)。戻ってきたら、「あ、あなた、今ちょっと時間があるからお祓いしてあげましょう、一寸だけね。」
宝生高橋:3か月前に行きました。僕の場合何もエピソードも無く、無事に。
観世武田:3,4か月前。丸の内朝活というお稽古をやっていたらその生徒さんたちが皆行きたいと仰るのでバスを仕立てて。一年後にお礼参りもしましたよ。ちなみに昔は成田山に行くことが多かったそうですけれど、父はそれも行っていないと言ってました。
金春中村:(会場に向かい)あー、僕の生徒さんたち、行きたければ自分たちで企画してくださいね。僕、忙しいから(笑)。


≪鐘作り≫
喜多大島:6-7人がかりで一日から一日半。シテが皆さんにご馳走することになっているので、そればかり考えて作っていました。一か月前の下申し合わせに間に合うように作ります。
宝生高橋:内弟子が全部作るので、差し入れします。公演一週間前くらいに作るかな。下申し合わせがないこともあるので。
観世武田:一日がかりで、鐘後見、シテ、若い人の8人くらいで。昼と夜をご馳走するのは喜多と同じ。大体一か月前に作って、下申し合わせが2週間くらい前でしたかね。
金春中村:普通一日がかりですが、本田光洋先生は2時間で作ったことがあるそうです。

鐘入の練習は下申し合わせの時にすることがほとんどなのでそれに合わせるようです。(みなさん申し合わせの時には鐘入はしない)。昔は鐘の中はシテだけが入って作ったという流儀もあったそうです。


≪当日朝≫
喜多大島:子供が小さいので風邪をうつされたら大変と、3,4日前に嫁と子供を実家に返したら、自分がひどい風邪をひき、3,4日ほとんど食事できずにフラフラで出かけた。
宝生高橋:なーんにも思い出せない!
観世武田:一か月前から禁酒してました。


≪装束≫
喜多大島:唐織は茶色の字に鶴菱が道成寺の披きの決まり。京都の高林家から借りた。面は曲見か増だが、開きはふつう増(曲見は難しい)。
宝生高橋:雪持椿が決まり柄。面は泣増。色なし、色ありとあり、色なしの時には白曲見も使う。色の有り無しは現在は家元が決めている。
観世武田:枝垂れ桜に糸巻が決まり。面は「近江女」という道成寺の専用面がある、。
金春中村:鶴菱で、喜多と同じ。面は曲見。


ここからいよいよ舞台の話。
喜多大島:乱拍子が終わるまでに40分かかり、脱水もあり、鐘の中で手が動かずに時間がぎりぎりだった。喜多は笛座の方を向いて鐘入する。
尚、喜多では道成寺を披く人全員が聞かされるのが友枝昭世が首の骨を折った話。
宝生高橋:宝生も笛座の方を向いて鐘入。鐘のてっぺんに明り取りがあって中は薄明るい。家元に借りた面を「素晴らしいな」と思ってのんびり見ていた。ちなみに宝生では般若では無く真蛇という耳の無い面を使う。
観世武田:観世は正面を向いて足踏みして鐘入。
金春中村:金春は斜入と言われるが、それは櫻間家の系統のやり方で、宗家は正面をむいてはいるのが普通。普通は赤頭を使うのが流儀の特徴。

流儀によって乱拍子の部分がかなり違うらしいのが面白かった。私は観世しか見たことが無いので。
そのほかにも、当日はワキも気迫が違うので、申し合わせの時よりも凄く近かったり、動きが速かったりと凄かった、なんて話も聞けました。


≪終わったら≫
大体がもちろん宴会らしいです。

≪鐘の布を外すのは?≫
喜多大島:終演後ただちに。なお、次に東北などの純粋な三番目ものをやると良いと言われています。
宝生高橋:終演後ただちに。
観世武田:翌日、鐘をつくったのと同じ人がこわす。


面白かった。12月には是非行きたいものです。
[PR]
by soymedica | 2015-08-02 17:13 | 能楽 | Comments(0)
<< 国立能楽堂八月 働く貴方に贈る... 本: 能舞台の主人公たち >>