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第8回萬歳楽座 小原木 高砂

第8回萬歳楽座 小原木 高砂_d0226702_22292710.jpg第八回萬歳楽座  小原木 高砂10月16日(水)18時30分より@国立能楽堂
正面席12000円

一調一管 小原木
野村萬斎、小鼓 大倉源次郎、笛 藤田六郎兵衛

高砂 翁なし、八段之舞、流シ之伝、八頭之伝、大極之伝
シテ 観世清和、ツレ 観世喜正、ワキ 宝生閑、ワキツレ 殿田謙吉 御厨誠吾、アイ 野村万作
笛 藤田六郎兵衛、小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井忠雄、太鼓 観世元伯
後見 片山幽雪、木月孚行、坂口貴信
地謡 梅若玄祥


ほぼ満席。モヒカンの若者あり。ああいうとんがったおしゃれは意外に能楽堂にフィットする。

最初の「小原木」は藤田流に伝えられているものの何百年ぶりかの復活だそうで、謡部分は萬斎が手直ししたところもあるそう。萬斎の謡は音程が低く、舞台での台詞の音程を考え合わせるとこの人はかなり音域が広そう。かえって、それが苦労の種なのではないでしょうか。演ずる前に御調べがあるのですが、それが切戸口の側から聞こえてくるのが珍しい。

高砂にはたくさんの小書きが。最初に藤田六郎兵衛と観世清和の対談があって、これらに説明がありました。
「翁なし」の由来はパンフレットにあるように通常伝えられている所では、江戸城の正式の演能の際シテの太夫が不在で翁の上演が不可能な場合に、能「翁」をワキの家元が演じたのが始まり、あるいはやはりシテの太夫が不在のなか日光東照宮で演じたときが始まり、だそうです。でも今回観世清和が観世の伝書で発見したところによると、正式の演能があったとき家元(七世?)が元服前であり幼かったので、翁を遠慮したのが始まりだそうです。

演能前に楽屋では面箱の中に翁面と鈴をいれ、シテの葛桶とともにワキに申し送る儀式があるそうです。また、鏡の間には翁飾りに似たものを飾るが、塩と米は無く、酒も無いとのことです。

小書きにある流(ナガシ)之伝、八頭(ヤツガシラ)之伝とは真之一声の後に小鼓・大鼓の掛け合いが入るもの、大極(タイギョク)之伝は後シテの「出端」の小書きで、太鼓がたくさん「イヤー」の掛け声とともに頭を打ち重ねるその回数が9つになる、というものらしい。そしてこの3つの小書きは基本的にはセットでつくものだそうです。

八段之舞は常には五段の神舞を舞う住吉明神が、舞の小節数をほぼ変えずに八段に舞うというもの。家元は四段までに各段の中間に極端な緩急をつけて舞うけれども、弟子家ではそれはやらないとも。

切り火はあります。幕からちょこんと顔をだしてやったあと、裏ではだいぶ長いこと。でも、火打石ってどこで売っているんだろう?と先ほどネット検索したら色々ヒットするのでびっくり。
その後、宝生閑扮する友成、お伴、囃子、地謡が正装で登場。宝生閑が舞台中央で大きくお辞儀をするあいだ、皆橋掛かりに整列。国立能楽堂は比較的照明が明るくて、舞台の木も白っぽいので華やかさもひとしお。
その後、地謡は囃子の後ろに整列。

ワキの同吟ってなんであんなに合わないことがあるのでしょうか。まあ、ここは宝生閑を立てて謡ってほしいけど。宝生閑完全復活、というより別の次元に上ってしまった感じの舞台でした。

観世清和、観世喜正は蚤の夫婦。両方とも艶のある謡。両方とも舞台の上で演技を楽しんでいるのが伝わります。おじいさんが正中に座って後見が出てきて、水衣の肩をおろすのかな?と思ったら何もしなかったように思ったのですが。
松の根の掃除も清々しい。「久」の字を描くそうですね。

そして二人は船に乗って舞台から去るのでした。これがいかにも気分の良い風が感じられて楽しかった。
ところで、アイ。せっかく万作だったのに全く記憶に残っていない。寝ていたはずはないのだけれど…。残念。

そして神様登場。「高砂の後シテの面は邯鄲男」、でもなんだかもっと怖い面だな、と思っていたら、小書のあるときには「三日月」らしい。神様というとおっとりしていそうだけれど、住吉明神は勇壮な神様。清々しくて力強い。八段の舞、大変気に入りました。

勇壮で、さわやかで、明るい舞台でした。萬歳楽座はいつ見ても外れが無い。ま、切符高いですけれどね。

参考は「能の鑑賞講座二 三宅譲 檜書店」
by soymedica | 2013-10-18 22:33 | 能楽 | Comments(1)
Commented by oscar at 2013-10-19 09:06 x
水衣の肩は後見がちゃんとおろしていたとご指摘いただきました。わたしは後見が出てきたのに「あんまり変わっていないな」と(*_*;確かに、出てきたのだから下ろしますよね。松風軒様、ありがとうございました。
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