国立能楽堂7月定例公演 呂蓮 通小町

d0226702_1723988.jpg国立能楽堂7月定例公演 呂蓮 通小町
7月17日(水)18時30分より
脇正面席3100円

狂言 呂蓮 和泉流
シテ(出家)石田幸雄、アド(宿主)野村萬斎、小アド(妻)高野和憲

能 喜多流 通小町
シテ 粟谷能夫、ツレ 大島輝久、ワキ 森常好
笛 藤田朝太郎、小鼓 観世新九郎、大鼓 亀井広忠
後見 友枝昭世、中村邦生
地謡 出雲康雅ほか


今回切符を買うのにちょっと出遅れたら正面席が売り切れ、中正面も売り切れ、で、脇でした。今回演目に限って言えば、そんなに悪く無い席でした。

呂蓮は初めて見る演目。うちに出家を泊めて、おっちょこちょいの主人が勢いで出家しちゃう、という話。出家と言っても大したことの無い人で、「伊呂波」の手習い本を一生懸命見て名前を考えるといった程度。かるーいノリのおバカさんな亭主と不条理な状況に目をぱちくりする出家、そして高野和憲のヒステリー妻。面白かった。むかしから頭をそるときには「じょりじょり」と剃るのですね。


「夕暮れはひとかたならぬ思いかな」。通小町です。「暁は数々多きおもいかな」。
改めて前場で重要な役をする小町が「ツレ」だとなんだ、と思う。大島輝久ってちょっと注目していますが、今日も満足。

友枝昭世が後見だったのですが、髪を染めていないところが大変好もしい。

さて、一夏を送る僧に毎日木の実や小枝を持って来る女性がいる。「木の実の数を聞いてみよう」。女性にすぐに名前を聞くものでは無かった時代の習慣が投影されていると聞きました。喜多、金剛にこのセリフが残っているそうです。(ほかの流儀では「名前を聞いてみようと言います。」

この木の実の名前を挙げて行くところといい、詞章の綺麗なお話ですね。
女性は自分の名前をほのめかして消えて行きます(本当は後見座に座っている)。セリフにもあるようにもともとは姥で演じられていたそうですが、若い女性に変えたくなるのが十分わかる可憐な木の実問答。

そして「あの女性はもしや」というワキのセリフ。森常好がニュートラルな感じに語ってサラサラと舞台は進行します。

そして僧が市原野辺に行って御経をあげていると、小町の霊が出てきて感謝した、と、幕の中から「その女を成仏させるな」と薄気味の悪い声が。「包めどわれも穂にい出て」のところまで幕を下ろしたままで薄気味悪く謡っている。この演出、好きですけれど、脇正面で見ていた私には良く謡が聞こえましたが、囃子方には聞こえるのだろうか?

そしてワキ僧の求めに応じて百夜通いの様子を見せます。これ、何でそんな見せ物のようなことをさせるのか、残酷だな、と思っていたのですが、小学館の謡曲集の解説によると「過去の行いを再現することで罪が救われると考えられていたから…それゆえツレも救われるために『待ちしところ』をさせる必要があった」のだそうです。解説と言うのは良く読んでみる物ですね。

百夜通の様子は(たぶんシテの個性によって)あまりくどく無く演じられて私にはこれがとても好ましく思えました。笠を落とし、探すしぐさも良かったし。
地謡が若干御経みたいでしたが。

と言うことで、大感動、と言うわけではないけれどなんとなく「今日は来て良かったな」とほかほかした気持ちで帰途についたのでした。
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by soymedica | 2013-07-20 17:26 | 能楽 | Comments(0)
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