セルリアン定期能 6月 綾鼓

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セルリアンタワー能楽堂 定期能6月 喜多流 綾鼓
2011年6月30日(土)14時より@セルリアンタワー能楽堂
正面席12000円

おはなし 馬場あき子

能 綾鼓

シテ 友枝昭世、ツレ 佐々木多門、ワキ 森常好、アイ 高澤祐介
笛 一噌隆之、小鼓 森澤勇司、大鼓 柿原崇志、太鼓 助川治
後見 塩津哲生、中村邦生


喜多流は馬場あき子さんという大変なお弟子を得て大そう得をしているのではないでしょうか。本日も面白いお話でした。
そもそも美女と老人というのは日本で好まれる主題なのだそうです。最後に「時間がちょっとあるので」と話してくださった、藤原褒子と滋賀寺聖人の話もそう。何が原典だったら聞き逃しましたが、滋賀寺のじいさんは手まで握らせてもらえたのに、本日の爺さんは気の毒です。

さて、この綾鼓という曲は恋の重荷よりも古い、その原型と考えられている曲ですが、宝生流と金剛流にしか伝わっておらず、喜多流のものは昭和27年に土岐善麿(ときぜんまろ)が宝生・金剛の物を参考に復曲したものだそうです。

綾鼓というのは鳴るわけがない、「ならぬ恋」とかけている。しかし悲しいことにそれがわからない教養の無い老人は鼓を鳴らそうと打ち続ける、というもの。

さて、鼓を結んだ桂の作り物が正先に出されます(ワキ座よりに出す演出もあるそうです)。ツレの女御は最初にでてくるけれど、前場は美しく座っているだけ。あなた、そこにいたのね、と言う感じ。
橋掛りで臣下が名乗り、従者とやりとりがあります。呼び出された老人が出てきます。かなり痩せてみすぼらしく見える着付けにしてあります。でも、そこは能ですから、地味ではあるけれど、綺麗。
前場の半分くらいまでは他流とほぼ同じつくりであるものの、金剛・宝生では自分と女御を恨むという言葉が前面に出てくるのに対し、喜多流新作では「明け暮れわかず思ひしらせし、思い知れよと」と、女御を恨む言葉が強く出てくるのが特徴というのは馬場先生の説明。

ならぬ鼓に絶望した老人は、からくりを知らされて絶望して池に身を投じます。「底白波にぞ入りにける」で、橋掛りでがっくりとひざをつく。

後場、やっと女御の出番。地なのか演技なのか、この女御人形じみていて、老人の最後を聞かされても通り一遍の反応。ところが途中から老人の霊がついたのか、「あらおもしろの鼓の声や」と、言いだす。ここの謡は聞かせどころと思いますが、難しそう。

そしてシテの老人が幽霊になって出てきて(面は悪尉に白頭)女御を葛桶から引きずりおろし、「〈綾鼓を〉打ちてみたまえ」と迫り、打ちすえる。ここは昭和27年という時代を感じさせる作りだとか。
そして逃げ惑う女御を責め立て、振り返りつつ、音もなく消えて行く。

友枝昭世、もちろん楽しく見せてもらいましたが、隅田川ほどの思い入れや作り込みの無い曲だった感じ。もしかしたら、曲自体が少し弱いのかも知れません。そしてとても残念なことに、正面真ん中の席だったので、シテが作り物の陰に入ってしまうことが多かった。もう少し枝うちしてよー。


写真は京都御所のマンホール
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by soymedica | 2012-07-04 22:32 | 能楽 | Comments(2)
Commented by まさぞう at 2012-07-12 19:28 x
私も同じ舞台を拝見したのですが、人物造型が(友枝昭世の責任ではなく、土岐善麿のですが)弱いように思いました。単純明快すぎるような印象です。戦後なので、ということなのでしょうか。馬場さんの解説を聞いていて、駄作に対する苦し紛れの言い逃れではないかと聞いていました。とはいえ、他流の綾鼓は見たことはないのですが(詞章を読んだだけです)。
Commented by soymedica at 2012-07-12 20:25
まさぞう様、おお、同じ舞台を!
そう、私もまさにそう思いました。そして私も他の綾鼓は未見なのです。今回は友枝昭世のチャレンジでしょうか。「俺の力で魅せてやるぞ!」(笑)考えすぎかもしれません。
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